今回のスツール通信のために、既に用意をしていた文章があったのですが、
先日ある出来事があり、そのことを書くべきではないか、いや、そうじゃない。
少し葛藤しましたが、やはりカメラマンとして伝えるべきだと思い、差し替えました。
お読みいただければ、とても嬉しいです。
11月21日(土)の23時。
15年前の結婚式から今もずっーーと家族の写真撮影をさせてもらっていて、
今ではもう友人でもあるご家族の小学生の息子くんが、僕に届け物があると、LINEが来た。
ちょうど明日の撮影の帰り道がお家の近くを通るから、寄ることにした。
11月22日(日)の13時。
息子くんから届け物を貰って、みんなで少しお喋りして帰ろうとすると、彼女(ママ)が急に泣き出した。
お父さんの余命があと1か月だと、お医者さんに宣告されたと。
目に涙をうかべて、
「私は、お父さんとお母さんの二人の写真を残しておきたい。」
「でも、許してくれるか分からない。」
確かに、ご両親はきっとそれどころじゃないだろう。
「でものちのち、あの時写真を撮っておいてよかったと思える時が必ず来るよ!」
「お父さんお母さんに、ちゃんとえみちゃんの気持ちを真っ直ぐに伝えてほしい。」
それだけを伝えました。
11月25日(水)の14時。
ご両親はいいよっと言ってくださり、撮影当日を迎えました。
天気はどんより曇りの中、ご実家に到着。
彼女の希望でお家の前で撮影する予定だった。
ただ、歩けなくなったお父さんにご無理のないように、
玄関前に椅子を用意して、そこで撮影することにしました。
力を振り絞って、、、玄関前の椅子まで来て下さいました。
お母さんにはすぐ横に立ってもらいました。
お父さんは上着を羽織り、でも当然ですが、下はパジャマ姿に裸足。
その様子を見て、彼女は上半身の写真にしてほしいと言いましたが、
最後になるお父さんの写真は、ちゃんと全身でも残してあげたいと僕は言いました。
すると、その思いを受け入れてくれて、みんなで靴下とスニーカーを履かせて上げました。
ファインダーを覗くと、急に明るくなった。
空を見上げると雲が流れ、太陽の光がご実家を照らしてくれた。
お父さんの姿がとても美しく、とてもいいお顔です。
必死の思いでシャッターを切りました。
おそらく10分ほどの出来事だったと思います。
シャッターを切ってる間、彼女は横で悲しみを堪えていたと思うけれど、
ご両親から目を離さなかった。
12月7日(月)の11時。
すぐに、ご両親に仕上がった写真を見てほしくて、
フレームに収めたお父さんお母さんの写真を持って届けに出掛けた。
「えみちゃん、お待たせ、いい写真が撮れたよ!」
彼女は大粒の涙を流して、
「昨日の夕方、息を引き取りました。」
「えっ、、、?」
間に合わなかったのです。
あと少し早かったら。
悔やまれました。
でも彼女のやさしさで、僕に会うまでは伝えなかったのです。
「ごめん、間に合わなかった。」
すると彼女は、
「竹内さん、間に合ったよ!」
と言ってくれた。
「今日これから、この写真、持って行って飾ります、いいですか?」
「もちろん! 是非飾ってあげてほしい。」
15年前の結婚式で撮影した、彼女とお父さんの2ショット写真を見せてくれて、
この父の写真を使わせてもらいますねって。
涙を堪えるのに精一杯でした。
生きることにいつも一生懸命な、えみちゃんを見ていて分かります。
彼女を育てあげてくれたお父さんは、人間的に素晴らしい人だったのだろう。
この日の天気のように、温かく穏やかで、強く青に染まろうとする冬空のように。
彼女は何度もなんども、写真を撮っておいてよかったと、何度もなんどもお礼を言ってくれた。
そして、佳代が僕に託したメッセージのお陰で今、なんだか強くいれますって、言ってくれた。
それでも無常にも時は流れ、容赦なく日常が始まります。
えみちゃんへ。
どうか悲しみが少しずつ時に流れ、やさしさの結晶だけ心に留まりますように。
そしてどうか写真を見ては、時折、お父さんの生きた証しを感じて下さい。
ほんとにありがとう。
そして、たまたま息子くんからの連絡で、お家に立ち寄ることになったあの日。
もしあの日がなければ、、、。
小学生の息子くんに深い感謝を示したいと思います。
ありがとう。
お父さんの最後の写真を撮影できたこと、誇りに思います。
親愛なるえみちゃんへ。
2020年12月8日 カメラマン・竹内靖博