『声で伝えたい』
SNSの弊害、という言葉を聞く。たしかに楽しく利用できればよいが、アルゴリズムで出てくる情報をエンドレスにスクロールして追い続け、気づけば一時間くらい経っていて途方に暮れるときがある。完全に不健康だ。こんな小さな機械を血眼で見るために我々は生まれてきたのだろうか?ぜったいに、ちがう。
踊りの先生(87歳)から、ときどきLINEのトークみたいな電話がかかってくる。
着信あり、何事かと思い出ると、
「今、NHKの歌舞伎見てる、義経千本桜、あんた見てたか?」
「はい、見てました」
「そう思たわ、カッカッカ。それだけ」
ガチャン。
再度着信。
「せやせや、今日渡した着物着たか?」
「いや、まだです」
「裄がなあ、あんたに合ってたらええんやけどなあ」
「はあ」
「また合わせといて」
ガチャン。
短い通話のやりとりをLINEのトークだと想像する。同じ速度だ。
頂き物の着物を貰いに先生宅へ出向いたときも、
「あ、ちょっと待って、あんたに見せたいもんがあるねん」
奥の部屋から、先生が昔舞台に出た時の写真を持ってきて、
「これやねん。いついつの舞台」
「いいですね」
リアルインスタグラムをしてるのかと思った。
ただ先生は、わたしの踊りがよかったで、ということもわざわざ電話をかけて伝えてくださる。
それは、媒体を通した文字のメッセージよりも、ダイレクトでうれしい。
画面に残るメッセージよりも、その瞬間しか聞けないその人のことばは、うんと心に残るから不思議だ。
たぶん、先生はアルゴリズムで情報過多になることもないし、無意味に情報をとりにゆくこともない。
そのとき思ったことを、自分の口で、想いを相手に伝えている。それはとても健やかな生き方だ。