スツール

ターバン女のひとりごと

2024.06.15 更新

『踊る日本人17』

すき焼き弁当を堪能した後、お手洗いへ行ったら休憩はあっという間に終わり、第二部の幕が開く。

第二幕の演目のイヤホンガイドは、なんと偶然にも知り合いが担当していたものだった。

急にイヤホンから知り合いの声が聞こえてくると、その距離感はグッと縮まり、前のめりになる。

歌舞伎の知識はほとんどゼロだが、ガイドを聴きながらだととても分かりやすく鑑賞できるのだ。

女方、中村壱太郎の華麗な舞いや所作、尾上右近、中村隼人の粋な立方姿、江戸の人情味あふれる世界観。

作家、近松門左衛門の作品には、主人公は完璧なヒーローでなく、大きく何か欠落している、一人では生きていけないようなダメ男が登場する。

いつの時代にもこう言うどうしようもない人間はいて、そのダメな部分が人間味を表現しているのだが、今の時代だからこそ求められるものではないか、と思った。

自分の中にもどうしようもない部分がある、と気づくからだ。生きていることを肯定している証のような。

客席を見渡すと、子供たちはもう体勢を保てず、大体の子は斜めに傾いたり、タコのようにウネウネ動いていたりしている。

隣の我が息子も、今まで見たこともない体勢になり、「まだ終わらないの?」と目は訴えるものの、高学年の知性でなんとか制している様子だった。

その息子のジレンマを横で感じつつ、貧乏性な私は「一秒たりとも逃してはいけない」とドライアイになるくらい眼球を開ききり、舞台を見続けた。

終幕近くの大人数での派手な見せ場があるシーンでは、だらりとしていた子供たちも一様に前のめりになり、気づいたら幕が降りていた。

行きで撮れなかった、ミナミーナとのツーショットを撮ろうと出入り口に走ると、帰りを急ぐ客たちと、入れ替わりに夜の部を観にきた客たちが行き交うだけで、ミナミーナの姿はなかった。

休憩に入ったのか。

少し悔いを残しながら南座を後にし、何か解放された感のある息子と、少し時雨模様の四条大橋を足早に渡った。

帰宅後、息子は「またあのすき焼き弁当、食べたいなあ」と呟いていた。

もし踊りを習っていなかったら、着物を着ての歌舞伎の観劇など一生なかったかもしれない。

世界が大きく広がった瞬間であった。

つづく

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