スツール

ターバン女のひとりごと

2024.05.15 更新

『踊る日本人16』

雨の春分の日。京都南座は賑わっていた。

入り口で南座のゆるキャラ的なマスコット(みなみーな、と言うらしい)がいたので、息子に一緒に写真を撮ろうと言うと、瞬殺で拒否される。

そうか、彼も11歳。

ゆるキャラと一緒に記念撮影を拒む年頃になったのか。「では、お母さんだけでも」と、みなみーなとしれっとツーショットを撮ろうとすると、それさえも眉間に皺を寄せ「もういいから、恥ずかしいから」と必死で阻止される。

春分の日に着物を着て南座で歌舞伎観劇と言うシチュエーション、前のめりで浮ついてることを、察知されているかのようだった。

中に入り、撮影用の特設ブースや土産物コーナーなどを浮ついた心で物色するも、「早く席に行こう!」と急かされる。イヤホンガイドを握りしめ、席へ向かった。桟敷席と言われる、舞台を正面でなく横から眺める席であった。

周辺を見渡すと、同じように保護者に連れられてきた小学生たちや、一階席には、着物の女性たちもちらほらと見受けられた。

演目前には挨拶として尾上右近と、ゆるキャラみなみーなが登場。劇場内撮影禁止だが、この時だけ撮影タイムが許される。一様にスマホを舞台に向ける客たちの姿と、「ほらほら、みなみーなだよ!」とはしゃぐ母親を他所に、隣で浮かない横顔の息子。バシバシとスマホのシャッターを切るも、どうもその動作が粋ではないような気がして、さっと仕舞う。

尾上右近は言った。

「パンクの精神をぜひ感じて欲しい」と。伝統芸能を背負っていく彼らが言うから響く言葉だな、と感じた。

いよいよ演目が始まると、最初こそ集中して見入る子どもたちも、次第に体制を変えたり、体を揺らし始める。

私は大変貪欲な人間なので、一秒たりとも逃すものかと眼球を開けるだけ開き、舞台に集中した。

役者の所作や演技、衣装、舞、豪華なセットなど、目に見える表面のこともそうだが、裏で演奏している地方さんたち、舞台装置を入れ替える裏方さん、照明、音響、世話役、舞台に携わる全ての人たちの鼓動を感じられるのが舞台であり、それを感じられるだけで十分に来た甲斐がある。子どももすべてをちゃんと観なくてもいいし、感じるだけでいい、と思った。

第一部が終わり休憩に入ると、いよいよ高島屋で調達した弁当を取り出すと、息子は今日イチのテンションを見せた。

「むちゃくちゃ美味い!」と開眼する息子。すき焼きの横に、卵焼きとお惣菜、ご飯はただの白ごはんでなく、おかかと海苔が敷かれた海苔弁当になっている。普段、おかかって食べないのだが、すき焼き入りの海苔弁当は相当に豪華に感じる。南座で食していることも、余計に旨さが増すのだろうか。

食べ盛りの息子にはその量では到底足りず、私の弁当を分けてちょうどであった。

食べた直後に「旨すぎてもう一個食べれるわ!」と健やかな表情で言い放った。

長い人生の中で、息子はこの弁当を一緒に食べたことをふとした瞬間に思い出すのだろうか。それともあっさりと忘れてしまうのだろうか。

私はなぜか、自分が小学生の時、母親と二人で外食した際に初めてドリアなるものを食べたことを思い出した。チーズが溶けて、あつあつで、ホワイトソースのミルキーさ、全てが特別に思えた。

目の前の母は柔らかく微笑んでいた。

つづく

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