スツール

ターバン女のひとりごと

2024.01.15 更新

『踊る日本人12』

日舞の習いたては見てられないくらい、酷かった。扇子の持ち方で四苦八苦、おまけに扇子を片手で開けようとして、先生の目の前でふっ飛ばしたこともある。

扇子はきれいに宙を舞い、ばさっと雑に落ちた。全部スローモーションに見えた。先生も苦笑いしながら、たぶん、呆れておられた。

体の使い方がわかっていないので、毎回ロボットのような動きになり首を捻りながら稽古に励んだ。腰を落として踊る、というのが簡単なようで実は難しい。ゆっくりの動きな割に、余分な力も入ってしまうのでものすごく疲れる。背筋も伸びるし、体幹は鍛えられるし、もうそれはトレーニングに近い。ただ振りなどは何度も練習すれば身につくのだが、一番難しいのが細やかな所作と「風情」なのである。「風情を出す」ってなに?

というか、風情ってなに?雲をつかむような作業でもう訳がわからない。

もう難しすぎて、辞めようかなと思い、少しお稽古を休んだ。

休んでる間に、「あれ?私プロでもなんでもないし、踊れんで当たり前やし、何難しく考えてたんやろ?ただ楽しめばええだけやん!」と、急に開き直り、そこからはお稽古がどんどん身について覚えられるようになった。いい意味で肩の力が抜けたのかもしれない。先生や芸舞妓さんの舞台を見るために歌舞練場にも何度か足を運んだ。美しい人の舞を目の前で見るのが一番の勉強になった。

舞台にも出させてもらうことも増えた。

人前で踊るのは好きではないのだが、裏舞台を観察するのが好きなので、それはそれで楽しい。一つの舞台を完成させるのに、多くの人が関わり、裏ではみんな走り回ったり、バタバタと過ごしているのである。裏方さんの力あってこそ、演者は気持ちよく踊らせてもらえるのだ。

そうこうしてる内に二年弱が経過した。

保存会で盆踊りを踊っているとき、「踊り綺麗やわ!」と褒めていただく機会が増えた。

これは確実に日舞のお稽古の賜物である。ヒャッホウ!と飛び上がるくらい嬉しかった。

そのために習っているのだから。

ある程度身についたら日舞はやめようと思っていたのだが、先日、職場の施設で新春芸ということで、日舞を披露する機会があった。

衣装の着物と音源のラジカセ&テープ持参で、フリー踊り人の如く挑んだのである。もちろん通常業務もこなしながら。

すると利用者さんから拍手喝采いただき、大変喜んで頂けたのだ。みんないい顔をしていた。

自分のためにガムシャラにしていたことが、人を喜ばせることになるとは夢にも思っていなかった。

新年から人の役に立つことができたので、日舞はまだもう少し続けたほうがいい気がしてきた。

つづく

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