スツール

Sukkuのクスッと笑わせて

2023.12.15 更新

今年最後のコラム
私たち川瀬家は、結婚式で竹内さんに撮影して頂いたことをご縁に、毎年年末に家族写
真を撮ってもらうのが恒例となっています。自宅が出来るまではスツールで、自宅が出来
てからは自宅で撮影です。
私たちも南丹市で生活して10年以上が経ち、色々な方に家族ぐるみでお世話になってい
ます。撮影は、そのお世話になっている方をお呼びしたり、自宅に伺ったりして川瀬家4
人と一緒に撮影して頂いています。
私たちの友人は皆さん高齢者ですので、来年どうなっているか分かりません。子供たち
には命の大切さや人の命はいつまでも続かないことを伝えています。
最近、我が家の子供たちはどんな大人になるのだろうか?と考えることがよくあります。
楽しみです。
どんな人になるか分からないけど、夢を持って生きてほしいなあ。

61コラム「どうもあれへん」です。

今年最後は、追悼のコラムです。
今年もSukkuには新たに様々な利用者さんが来てくださいました。
そして何人かの方が亡くなられました。
今回特に追悼したい方が、三重子さん(仮名)です。以前にも紹介したことがある方です。
ご利用当初は車の運転をされていて、ワインレッドのマーチに乗っておられました。今で
もワインレッドのマーチを見ると三重子さんを思い出します。山に囲まれた集落で独り暮
らし。東京に住む息子さんが、月に何度か様子を見に帰って来られます。
三重子さんは膝が悪く、数年前に片側だけ人工関節の手術をされました。その時の手術が
どうやらとっても辛かった様で、もう片側は絶対に嫌や!と手術を拒否。その結果、片膝
だけ真っ直ぐ、片膝は変形が進みかなり歩きにくい状態になりました。背中の円背も強く、
どこか支えがないと身体はまっすぐ伸びなくなっていました。
それでも独り暮らしですので、シルバーカーを押してどこへでも行きます。
「どうもあれへん」が合言葉です。
ゆっくりとしか歩けない方ですが、とても行動的。週二回、300メートルほど歩いてご
み捨て場まで行きます。一日に数本しか来ないバスに乗り、街へ買い物に行きます。美容
院にも行きます。その膝でどうやって作業してるん?と不思議に思うのですが、畑もしま
す。お花も育てます。「街来たついでに寄ったわ。」と、よく手作りのお饅頭を届けてく
れたりもしました。
裏庭には、高齢になりたまにしか卵を産まなくなったニワトリ(コッコちゃん)がいるの
ですが、珍しく卵を産むとSukkuのスタッフに「コッコちゃん、産んだわー。食べー。」
と、新聞に包んで持ってきてくれました。(ちなみにコッコちゃん、一度裏山に離したら
しいですが翌日にはちゃんと戻って来たとかで、それ以降はまた餌をあげるようにしてい
るそうです。)
年の瀬も近づいた寒い日の午後、三重子さんの家の近くを車で走っていると、山の斜面
を登っている腰を曲げたお婆さんがいました。そして、道路にはシルバーカーが置いてあ
りました。ん?あんな斜面に高齢者?と驚きましたが、よく見るとあのシルバーカー知っ
てるぞ!三重子さんのや!と分かりました。後日、何をしていたのかを伺うと「正月用の
松を取りに行ってたんや。どうもあれへん。」とのこと。
そんなパワフルな三重子さんも90歳を目前に、徐々にいろいろな症状が出てきました。
手術をしていない方の膝が痛み、歩くことが困難になってきました。円背も進み、下を向
いて生活をしていることが多くなってきたので顔まで浮腫んできて、目を開けることも難
しくなりました。
そのうち、自宅でも転倒するようになってきました。
Sukkuのスタッフが見つけて、起こしたこともありました。
ゴミ捨て場まで行けなくなり、ゴミも溜まってきました。
尿失禁も増え、衛生面を保つことも困難になってきました。
私たちは、三重子さんが大切にしているこの自宅での生活を続けられるよう、様々なこと
を考えました。
しかし、手すりをつけようと提案しても「どうもあれへん。このままでええわ。」と断り
ます。ヘルパーさんを利用しようと提案しても「どうもあれへん。日曜日に息子が来るか
ら大丈夫やー。」とやんわり断ります。確かに週末に息子さんは帰って来られますが、あ
まり積極的に関わっているようには見えませんでした。
三重子さんは、家に誰かが入ってくることを良しとしない方です。
三重子さんのその強い思いは、最後まで私たちにとって高い壁となりました。
その後も転倒を繰り返し、入退院を繰り返し、久々に我が家に戻った三重子さん。
翌日の朝、お風呂で亡くなっている三重子さんがいました。
あれだけ家に誰かが入ってくることを嫌がっていた三重子さん、ついに誰にも入られずに
最期を迎えられました。
私たちは本当にこれで良かったのだろうか?
もっと他にできることはなかったのだろうか?
いや、あったのだろう。私たち支援者には悔いの残る最期でした。
でも、三重子さんは最後まで自分の気持ちを貫き通したようにも思いました。

今年も色々なことがありました。
来年も色々なことがあるでしょう。
一喜一憂することが良いのだろうか?なるべく感情を平坦に保つことが良いのだろうか?
毎日色々なことを考え、そして忘れ、それでも前に向かって進んで行かなければならない。
命ある限り今日を大切に生きよう。
自分らしく。(おしまい)
次回コラム「新春、小ネタ集。」

ご予約ご質問