こんにちは、カメラマンの竹内です。しかし暑いですねー、ほんとに暑い! 先日、徒歩1分の花山郵便局に行く途中で、息ができなくなりました。 恐ろしい、、。
この前の土曜日、家から30分の所にある京都劇場へ、杏里の45thコンサートにひとり行ってきました。ボクは20歳の時から聴いているから、かれこれ36年! 最近の作品は知らないのですが、80’sのアルバム4枚は今もずっーと聴き続けています。そのくらい曲とサウンドが素晴らしい杏里。 初コンサートに大感激でした。 伸びやかな歌声、演奏力の高いミュージシャン、ビートの効いた楽曲としっとり聴かせる切ないバラードの絶妙なランニングオーダー。 そして杏里はとても腰が低く、コンサートの間中ずっとお礼を言ってくれて、とても親切な方でした。 殆どの曲が歌えるのも喜びのひとつで、聴き続けて来て、56歳にして歓喜の時を迎えられたことに幸せを感じます。 ボクは2階の前から5列目でしたが、1階の最前列のおじさんは初めから最後まで踊っていて、それを見てかボクの前方2階最前列の70歳前後とおぼしきおじさんが、コンサート後半“CIRCUIT OF RAINBOW”を杏里が歌い出すと、ずっと我慢していたのか堪え切れない様子でスックと立ち上がり、踊り出したのである。 数分後、隣に座っていた奥さんらしき人が座るように促すと、苦笑いで座られた。しかし次の曲、“CAT’S EYE”のイントロが流れ出すと、もうおじさんを止めることは誰にも出来ない! 踊り出した、、。 これがまた上手やから杏里どころではなくなってきた。すると隣の奥さんも我慢しきれず、夫婦で踊り出したー、、ヤッター! 思わず心の中でガッツポーズ!! みなさん年齢なんか関係なく、思い思いの楽しみ方で過ごされてました。 ボクの楽しみ方は今も昔も変わらず、ひたすらドラムを叩く仕草で思いっきり楽しんでましたよ。 ちなみに一番好きな曲は、マイナーですが、“霧雨に消えてゆく” ですが、なんと歌ってくださいました。 来年もまた来ると誓って帰りました。。
前置きはこのくらいにして、今日は前号でふれましたが、ちょっとした、いや壮大な奇跡の話をさせてください。
ただ今お休み中のコラム「デコさんからの便り」を書いてくださってたデコさんからの依頼で、5年前のある日、こどもの造形教室にフィルムカメラのお話しに伺いました(当時デコさんはスタッフをされていました)。 みんなの前でフィルムカメラのメカニズムをお喋りしたあと、持参した沢山のフィルムカメラをこどもたちは思い思いに描き始めました。 その中で、筆に迷いがなく一心不乱に描いている女の子を見つけました。 他のこども達は彼女の筆さばきに見惚れている様子でした。 当時彼女・なっちゃんは最年長の高校3年生。半年後には海外の美術大学に行きたいと話してくれました。 そして完成した絵を観た時、心奪われました。 この絵を自分の傍にもしも置けたなら、毎日大いなるパワーを貰えるだろうなぁって想像してしまいました。 その思いをデコさんに告げると、数ヶ月後になんとボクの手元に届けてくださったのです。 嬉しくてうれしくて、すぐさまアトリエに飾りました。 いつか直接なっちゃんにお礼が言えたらいいなぁと思いました。
それから5年の月日が流れたある朝、いつものように京都新聞の朝刊を見ていると、お世話になっている地元の現像所の社長さんがなんと、ドーンと大きく地域面に載ってるではないですか。。 以前から地元の歴史を研究されていることは聞いていたのですが、ある大きな成果を挙げられたことで新聞に掲載されたのです。 すぐさまiPhoneで写真を撮り、デコさんにLINEをしたのです。なぜならデコさんはスツールカメラ教室・27期の生徒さんで、同じ現像所にフィルムを出されているから社長をご存じだったのです。
するとすぐにお返事がありました。 内容は、、、 あまり気に留めていなかったのですが、この新聞記事の最後に取材者のお名前が記されていました。 お名前を見てデコさんが、「竹内さん、この記事を書かれたのは、、なっちゃんのお母さんですよ。」って。 えっ、!! えっマジ!!! ホンマに!!!! あっ~思い出すと今でも鳥肌が立ちます。
即行動。 その日のうちに京都新聞社乙訓局に電話をして、2日後に取材者さんであるなっちゃんのお母さんと初めてお会いする約束をしました。 なっちゃんの絵をどうしても観てほしくて、しかもサプライズで。だから電話でこの内容を告げるわけにはいきません。 しかし会う口実がどうしても必要です。 苦肉の策で、ネタを持っていると訳の分からない、とても怪しい文句を並べて、冷や汗をかきながら約束を取り付けたのです。
2日後、新聞社で無事にお母さんと会えました。 会ったその瞬間から行動を起こして好かったんだ思わせてくれるような優しく明るい空気の持ち主で、すぐに感動を共有できました。 なっちゃんのあれからを色々聞かせてくださいました。 ニューヨークとカナダとオランダの美術大学に合格したこと、オランダを選んだこと、自転車で40分掛けて学校に通っていること、4年間学んだあとさらに2年間大学院でも学んでいること、来春に卒業すること、中国人の彼ができたこと、短髪になったこと、肥えたこと。 お母さんは携帯電話を取り出して、ボクと絵の2ショット写真を撮り、すぐさまなっちゃんにLINEをされました。 「偶然彼と帰国していて、東京にいるんですよー。」ってお母さんが笑顔で。 すると、滅多にすぐに既読が付かないLINEに、返答があったようです。 なんと、なっちゃんがボクに会いに来ると言ってますって。 なんて素早い行動の親子! なんとなんと、2日後になっちゃんは中国人の彼を連れて、ほんとにアトリエに会いに来てくれたのです。 そして数分後にはお母さんも合流! こんなことってあるんやなぁとしみじみ思い震えました。
彼はニューヨークの大学で学び、その後オランダに渡り、大学でなっちゃんと知り合ったのです。 学部では音楽と現代アートの融合を学び、しかも専攻はドラム。 言わんでもいいのにカヨが、ボクがドラムをやっていることを吐露してしまったのです。 そうなると引っ込みが付かず、隣の部屋からスネアパッドを持ってきて、片言の英語で教えてもらいました(笑)感激の時間、、、。
1時間ほどお喋りをしてから、絵を貰ったお返しに撮影をして写真をプレゼントすることにしました。 帰国までに無事にお届けできてよかった。 一連のストーリーがこれにてコンプリート! 時を超えて奇跡がやって来てくれました。 今回の物語には、5年前からの幾つもの分岐ポイントがあって、それを滞りなく美しく超えられたのだと思います。
5年前にデコさんがカメラ教室に来てくれたことから始まり、
こども造形教室に呼んでくれたこと、
なっちゃんと出会ったこと、
絵を貰ったこと、
現像所の社長が新聞に載ったこと、
お母さんが半年前に京都新聞社乙訓局に転勤になったこと、
社長の取材を担当されたこと、
デコさんにLINEしたこと、
お母さんのお名前を見付けて知らせてくれたこと、
新聞社に絵を持って行ったこと、
お母さんがなっちゃんに知らせてくれたこと、
会いに来てくれたこと、
彼を紹介してくれたこと、
そしてみんなで撮影できたこと。
すべてのポイントで行動してくださったみなさんに、大きな感謝です。
最後までお読み下さってありがとうございました。 喜びのお裾分けができましたら幸いです。