スツール

デコさんからの便り

2022.08.15 更新

 お盆真っ最中のこのごろ、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 わたしはうちにいるのがなによりも好きで、暑い日も大雨の日も、窓から庭をながめたり、本を読んだり、手仕事をしたりして、子どもの頃とは大きく変わってしまったこの暑い暑い夏をしのいでいます。変わった……とは書きましたが、窓外の、夏の光に輝く緑の草木の育ちは旺盛でーー少なくともわたしの目に映る範囲ではーーいつも変わらぬ夏の庭にも思えるのです。

 さて先月も書きましたが、内外に歴史的とも言える大きな事柄が、今も続いています。昔、『アンネの日記』を読んだとき、ナチスの目を逃れて隠れ家生活を送る少女アンネが、ふつうの女の子そのままに、恋をしたり、おしゃれに熱中する様子を知り、こんなにも過酷な非日常にあってもなお、アンネはなんて暢気なんだろう、と不思議に思いました。また、山田風太郎の『戦中派不戦日記』でも、東京大空襲のもとで、不安をいだきつつも若々しい学生生活を送る風太郎の姿が、すこし奇異に思えたものでした。

 けれども今、疫病、災害、戦争、銃撃というリアルな歴史のまっただ中にいるわたしたちも、アンネたちと同じかもしれません。わたしたちもまた、大きな事柄をどこか絵空事のように感じ、ただ淡々と日々を送っているからです。後年この日々が見直されたとき、後世の人々にはやはり、なんと暢気なとあきれられるかもしれません。しかし心のバランスをとるためには、そして生き続けていくには、そのように生きるしかないのだ、ともわたしは直感しています。

 さて、今月の本です。今月はとても長い、720ページの物語を読みました。

 『緑の天幕』
   リュミドラ・ウリツカヤ著 前田和泉訳 新潮社

 リュミドラ・ウリツカヤは現代のトルストイとも称される、ロシアのすぐれた女性作家です。

 この物語には、1953年のスターリンの死から1991年ソ連崩壊までの、長い激動の年月が描かれています。
 主人公は、地下出版にかかわるイリヤ、詩人肌の心優しいユダヤ人ミーハ、ピアニストを目指す繊細な少年サーニャの3人の友人たち。そして彼らにかかわる3人の少女たち。彼ら6人の若い日からの変わらぬ友情、その一方で変わりゆく社会や人間関係など、さまざまな事柄が混じり合い、入り乱れ、一見大河小説にも思えるこの小説が、もっと繊細な、もっと緻密な、ひとびとの心の機微を描き出す素晴らしい物語として織りあげられてゆくのです。

 冒頭、書きましたように、この物語の背景にも、全体主義的専制、体制の崩壊など、大きな事件がどっかりと存在しています。が、6人の登場人物の描写は、じつに細々として、読む者の心の襞に触れてくるような具体的なストーリーとして書き上げられています。読みすすむうち、彼らのよろこびや苦しみが手に取るようにわかり、遠く離れたわたしたちと変わらない心をもっていると親しみを感じ、まるですぐ隣にいる友人の話に耳を傾けているような感覚にさえ浸ることができるのです。

 実はわたしはこの小説を全編、編み物をしながら読みました。目は2つしかありませんので、もちろん、編み、読みを同時にしていたわけではありません。ではなくて、一節読んでは、その光景を想像しながら編む手を進めました。すると不思議にも、手は淡々とシンプルな手仕事をしながら、心の中にはリアルな物語の映像が浮かびつづけました。それは、編み目がひとつひとつつながってゆくような、しあわせな時間でした。

 今年もまたなかなかにたいへんな夏にはなりましたが、みなさんも想像の世界に心を遊ばせて過ごしてみてはいかがでしょう。とても読み応えのある良書です。大部ですが、読む手はきっととまりません。おすすめします。

ご予約ご質問