スツール

デコさんからの便り

2022.07.15 更新

 梅雨がたった2週間で終わり、そろそろここ京都では、久々に賑やかな祭囃子が聞こえてきています。みなさんはこの夏をいかがお迎えでしょう。

 この1か月、この国にも他国にも、あまりにも受け入れ難いことが起こり続け、ふと気づくと、わたしはあまりあたたかい気分ではいられなくなっていました。もし子どもたちに、ことの理由を聞かれたら、どのように答えたらいいのだろうと、頭を抱える思いもありました。

 それでも、ちっぽけな存在であるわたしにできることは、毎日のひととき、ひとときを一生懸命生きていくしかなく、けれども一切何も感じないでもいられず、心の底ではひたひたと音もなく、冷たい恐ろしいものが波打つのを感じつつも、心を壊すことなく淡々と、できれば気分よく日々を過ごしていくのが最良だろうと、思っています。
 けれど、この「感じつつも」ということの内容が、あまりにも大きい時はどうしたらいいのだろう……。みなさんはこんな日々、どのようにして気持ちを晴らしていらっしゃるのでしょうか。

 わたしは、いま特に、少しでもきれいなものを目にしていたいなあ、と思うのです。森に出かけてうつくしい鳥の声に耳を傾けたり、雨上がりの清麗な虹を見上げたりするのがよさそうです。そんなことに憧れながら、わたしは庭の手入れをし、ときおり訪れてくれる小雀たちをこっそり観察し、お腹をすかせたメダカたちが水に入れた指先へキスしてくれる感覚を楽しみ、プランターのきゅうりやししとうを収穫しています。そんなささいなことをでも、自分のこの身でやれることをして、日々をやりくりしているのです。

 そのような気分の今、わたしはこんな本に出逢えました。

 『夕暮れに夜明けの歌を』(副題:文学を探しにロシアに行く)
   奈倉有里著 イーストプレス

 これは、いわゆる現在のロシア問題が勃発するより少し前に、若きロシア文学研究者によって書かれたエッセイです。

 20世紀の終わりに大きな社会的変革を経験したロシアは、以後今日にいたるまで、多くの問題を抱えてきました。この本には、そんな背景をもちつつ彼の地に生きる生身の人々の、毎日の悲喜こもごもが、細々と記されています。

 著者は、留学生としてモスクワに滞在します。寮の友人との他愛ない会話、真面目な学生生活、若々しい恋などから、どこにいても、言葉は違っても、人はみなあまり変わらないのだなあと、微笑ましくほっとする面も多々感じます。しかし同時に、人種、格差、差別、悪政などを前に、人々の感じているどうしようもない抑圧感、無力感は、学生たちの暮らしのそこここにも暗い影を落としていました。

 孫引きになるかもしれませんが、本の帯に引用された部分がとてもよいので、そのまま引いてみましょう。

 私は無力だった。(中略) 目の前で起きていく犯罪や民族間の争いに対して、(中略) いま思い返してもなにもかもすべてに対して「なにもできなかった」という無念な思いに押しつぶされそうになる。(中略) けれども私が無力でなかった唯一の時間がある。彼らとともに歌をうたい詩を読み、小説の引用や文体模倣をして、笑ったり泣いたりしていたその瞬間ーーそれは文学を学ぶことなしには得られなかった心の交流であり、魂の出会いだった。教科書に書かれるような大きな話題に対していかに無力でも、それぞれの瞬間にわたしたちをつなぐちいさな言葉はいつも文学に溢れていた。

 
 ここにあるように、奈倉さんは心から文学を愛していました。ことに愛するロシア文学を、その地で学ぶ喜びに震えるような思いを抱いて暮らしていました。こんなふうに、ほんとうに愛することがあれば、そしてそれを自分で体感することができれば、どんなことがあっても心を壊さず、いろいろなことをよく見て、よく感じて、じっくりと考えることができるのでしょう。

 そうだ、わたしにも本が、文学がありました。もっともっと本を読もう。できればそこに書かれた地にもいつか行ってみよう。新たな夢ができました。みなさんもどうぞ本を読んでみてください。そしていっしょに、夢見たり、泣いたり笑ったりしてみませんか。

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