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デコさんからの便り

2022.06.15 更新

今年の梅雨は、いつもより梅雨寒の日があるようで、ひんやりする日もありますね。わたしの子どもの頃はこういう日がよくありました。紫陽花の花は、こんな日によく似合います。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 こないだ、庭に数羽の小鳥が飛んできて、かわいらしい声で囀っていました。よく見るとメジロの幼鳥のようです。近づいても逃げもせず、いつまでも木々の間を飛びまわり、遊んでいました。ふと気づくとその日は、愛猫ももがなくなって、ほぼひと月半になろうかという頃でした。あ、ももが空の上から来てくれたんだ、とわたしは思い、とてもうれしくなりました。

 このところ、悲しみに沈み切っていたわたしの心もからだも、ようやく日常にもどってきました。もものことは毎日思い出しています。写真に話しかけてもいます。でもなんだか、ももはすっかりいなくなったのではなくて、いつもそばにいてくれているように感じるのです。花になって、草になって、小鳥やカエルになって。空気の中に、ももがとけこんでいるようにも感じます。思い出というものは、こうして育っていくものなのかもしれませんね。

 さて、そんな日々、わたしは毎日を気持ちよく過ごすために、また本を読んだり、植物を育てたり、編み物をしたり、写真を撮ったり、お友だちとお話ししたり、歩いたりしています。どんなことでもいいのです、下手でも遅くても。機嫌よく過ごしたい、そのことそのものが目的です。

 さて本題に。今日おすすめしたいのは、この本です。

 『同志少女よ、敵を撃て』
  逢坂冬馬 早川書房

 
 独ソ戦、という戦いをご存じでしょうか?
 第2次世界大戦末期、ナチス・ドイツはソ連に攻めこみました。破竹の勢いのドイツに対し、必死に占領を食い止めようと抗戦するソ連。そこには、女性狙撃兵たちがいました。
 多くの国が女性を看護兵や銃後の守りに専念させるなか、ソ連では多くの女性兵士が実在し、厳しい訓練を経て、前線に送られていたのです。このことは、近年ノーベル賞を受賞した、ベラルーシの女性作家スベトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』という本にも、インタビューという形で詳しく述べられています。

 さてこの本には、そんな女性スナイパーたちが登場します。彼女たちは、無惨にも敵に家族や仲間を奪われ、たまたま銃の技術を持っていたため、狙撃兵になる訓練を受けて最前線に向かいます。祖国を守るという大義と表裏一体になっていたのは、その復讐心でした。しかしその憎しみの心情も次第に、同性同士の友情や思慕という色合いも帯び、また、彼女たちが受けてきた女性としての、少数民族としての、痛ましい差別も描かれながら、壮大な戦いの波乱へと展開してゆきます。

 物語の約4分の3まで、そのようなめくるめく情景が描かれていきますが、終盤の展開はとてもひと言では語れません。ただの戦いの物語ではなく、登場人物それぞれの生き方に通じ、読者には、それぞれの人生を見届ける思いを引き起こします。

 いま世界には、また悲惨な戦争が起こっています。この物語の主人公たちの国が今度は、他国に攻め込む側に立っているのです。被害者が加害者に変わる。立場が入れ替わってしまったこの事実を前に、わたしたちはそれをどうとらえたらいいのでしょう。敵、味方、というものを、いつもくっきりと区別できるのでしょうか。戦いや諍いは、いったいなぜ起きるのでしょう。それをどう終わらせるのか。いろいろな思いが輻輳して語られてゆきます。どうぞ今、この時に読んでみてください。おすすめします。

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