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デコさんからの便り

2022.05.16 更新

 みなさん、お久しぶりです。梅雨の走りとなり、紫陽花のつぼみも大きくなってきました。いかがお過ごしでしょう。
 3月、4月とお休みをしてしまったコラムを3か月ぶりに書こうとして、さてわたしに今、文章が書けるのかしら…といぶかしく思っています。けれど思いつくままに書き連ねてみます。

 こちらにも何度も登場していました、最愛の、最愛の愛猫ももが4月22日に肺がんでなくなりました。元気だったももに病気が発覚して、たった2週間のうちに進行し、19歳と6か月の命を終えました。人間なら90歳を超えていて、大往生といえるのでしょう。ただそれでも、長く共に暮らしてきたたいせつな存在の喪失は、わたしに大きな悲しみをもたらしました。今も1日のうちほとんどを、自分自身の体の一部が欠損したような痛みを感じながら過ごしています。

 親しいひとたちは、ももとわたしのことを、パートナー、伴侶、相方、ソウルメイト、などいろいろ名づけてくださいました。朝のおはようから、夜並んで眠るまで、一日中を共に過ごしてきましたので、ほんとうにそういう関係だったなあと思えます。

 悲しみを言葉にするのはとてもむずかしいです。言葉そのものが出てこないから…。どんな言葉もそれを言い表すことはできません。あるときは命の終わりに納得し、よい思い出ばかりが思い出されたり…。あるときはどうしても不在を受け入れられず涙があふれたり…。気持ちの振れは大きく、予測なく訪れます。ただ、今このときに悲しみを抱えている人はたくさんいる、と想像することで、自分を支えています。

 この間、心ある友人や家族があたたかい言葉をかけてくれました。そのことに応えられない自分に罪悪感を感じます。はやく立ち直らなくては、と焦る気持ちもあります。それでもどうしても元気がでないことが多いです。そんなとき、いっしょに暮らしている次男はいつも、「その悲しみはいいものだよ、感じるままにしておくといいよ」と言ってくれます。

 水木しげるさんの『のんのんばあとオレ』という漫画があります。水木さんの子どもの頃、近所に、のんのんばあという不思議なおばあさんがいました。のんのんばあは霊感があり、ふつうの人たちには見えない妖怪たちと交感できました。水木さんは、のんのんばあから、あの世とこの世の境を行き来するものたちの存在を教えられます。そして、この世でどうにもならない悲しみも苦しみも、いつかよいものに変わることを知ってゆきます。

 ある時、水木少年が心を寄せた少女が病いでなくなったあと、重い心をかかえてぼんやりするほか何もできない少年に、のんのんばあは言います。少女の魂が水木少年の心に宿ったので心が重たくなったのだと。魂は十万億土に行くけれど、少しずつゆかりの人の心に残る、でもしばらくすると人はその重たさにも慣れてゆく、と。

「人の心はなあ、いろんな魂が宿るけん、成長するんだよ。石には石の魂があるし、虫には虫の魂があるけんなあ。そげんさまざまな魂がやどったけん、しげーさん(しげるさん)はここまで成長したんですなあ」

「でも、ときに宿る魂が大きすぎることがあってなあ。これから先は、もっともっと重たい魂が宿るけんなあ。でもしげーさんの心も、その重たさをもちこたえるぐらいに大きくなって大人になっていくんだでね」

 そうなのです、悲しみを無理に消すことはないのですね。いつかそれが、わたしの心の中でよいものに変わるまで、ゆっくりと待っていればいいのだなあと思いました。

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