3月に入り啓蟄も過ぎました。
それと共に私の花粉症も敏感に反応するようになってきたので、約1年ぶりに耳鼻科に行きました。前日に鼻毛も綺麗にカットし、診察台に座って、さあ診てください!と鼻の穴を膨らまして、心の準備をしたところ、「花粉症ですね。じゃあ薬出しときます。次回は受付で言ってもらえたら、薬出せますのでね~。」診てくれないのか・・。そうか、コロナ禍で診察も大きく変わったんだ。とか色々考えながら、夜に花粉症の薬を飲み、朝目覚めると1時間半の寝坊・・よく効いてるわ~。
㊵「昭和元年生まれ!一人暮らしで頑張っています!」
昭和元年生まれの藤田さん(仮名)男性、現在97歳!
藤田さんは、若いときから林業に従事されていました。90歳を過ぎるまで田も畑もされていて、奥さんがなくなってからは一人暮らしをされています。買い物などは子供さんが行ってくれますが、お米を炊いたり、洗濯したりは自分でされています。そして、毎日晩酌もされています!身だしなみにも気を遣っておられ、毎回服装は違いますし、家の中での帽子と外出するときの帽子も変えておられます。難聴でほとんど耳は聞えていないですが、余計なことは喋らず、とてもしっかりされている方です。
家は農村部にあり、田んぼや畑に囲まれた中に家があるような感じで、土地の広さだけで言うと多分・・3千坪はあるのではないだろうか?と言える広さです。そうなると、お迎えに行くのもなかなかの一苦労です。まずは、Sukkuからそれなりの距離を運転し自宅手前まで行きます。そこからは、両サイドが畑で農道のような狭い道を50メートル以上ひたすら進みます。そして、家へたどり着く少し前には、鹿よけのフェンスがあるので、ラストはそこを通り抜けます。鹿も人もフェンスを開けないと入れません。何が大変って、家に到着してもUターンする場所はないので、帰りはそのままスーパーバックで戻るのです。毎週、こんな感じで送迎しています。
今年は南丹市も、よく雪が降りました。藤田さんの家の周りもよく雪が降りました。2月のある日、お迎えに行くと鹿よけのフェンスが閉まったままでした。(いつもは到着するまでにフェンスを開けてくれているのです)これは、何かあったに違いない・・。急いで開けようとしましたが、雪と寒さでフェンスをつないでいるヒモがほどけません。焦って、急げば急ぐほどほどけません。そうこうしているうちに、雪も降ってきてどんどん積もって来ました。5分ほどして何とか開いたので、車を家の前まで走らせ急いで中へ!
そして、玄関ドアを開けると誰もいません。他の部屋を2か所開けて「藤田さーーーん!」と叫びましたが返事がありません。嫌な予感・・・。
ドキドキしながら、最後の部屋を開けると・・縁側でボーと外を眺めている藤田さんが座っていました。そして、私の顔を見るなり「お、来たか。」と何もなかったように、外出用の帽子に被り直し、車に乗り込みました。
そして、雪が強く降る中、轍も分からなくなり、狭い農道を50mのスーパーバック・・。他の利用者さんにも脱輪しないか見てもらいながら、何度も切り返しようやく出ることが出来ました。その時に分かりました。そうか、今日は雪が強くてフェンスを開けにいけなかったんや・・。
大雪でない限り、藤田さんは毎朝鹿よけフェンスを開けて、夕方には閉めてるんです。自宅からは、そこそこ歩きます。いやぁ、90過ぎて一人暮らし出来る人は毎日の習慣が違うなぁと感心させられる日々です。
この方のお話は、実はまだまだありますが今回はこのあたりでお開きとさせていただきます。藤田さんの続編は、また夏頃に書きたいと思います!
次回コラム「平井さん、ウイッグ見えてる?」です。