スツール

ターバン女のひとりごと

2022.01.15 更新

『今は無き不思議な自転車屋の話5』

自転車屋で知り合った多くの友人たちは、皆一様に個性的であった。

その中でも、当時自転車屋の店長を任されていた『ふくちゃん』は美大で彫刻を専攻していた青年だ。

ふくちゃんは長い髪を一つにしばり、黒い縁のメガネをかけ、そしていつも誰かからもらったお下がりの服を着ていたが、絶妙に洒落た雰囲気をかもしだしていた。

南米ペルーを放浪して仙人のような容姿で帰国してから、店主に「ペルー仙人」とあだ名をつけられているにもかかわらず、だ。

それをその場にいた友人たちと議論したことがある。

「貧乏くさくなってもおかしくないスタイルなのに、なぜふくちゃんはセンスよく見えるのか」

結論としては、服ではない、その人の中身が出ているから、ということになった。

店主もそうなのである。

「このシャツね、そこの西友で1000円」と、照れ笑いしながら羽織ってるチェックのネルシャツを指差しても、なぜだかそういう風には見えない。

バリバリにウィンドウズのパソコンを使ってるのに、友人たちと「でもアップル製品が似合うよな」とよく話していた。

洒落た人は、結局何を着ても、何を使っても、洒落て見えてしまうものなのだ。

さて、そのふくちゃんはそこの自転車屋で店長を続けるか、はたまた別の会社で就職するか、放浪の旅に出かけるのか迷っていた。

「少なくとも3年は、どこかの組織に属して働くという経験をしたほうがいいですよ」

と、店主にしてはめずらしくまっとうなことをふくちゃんに諭していた。

そしてこれまためずらしく難しい顔をしているふくちゃん。

若い青年の希望と葛藤が、その場に漂っていたのを記憶している。

月日が流れ、久々に共通の友人と話していたら、

「ふくちゃんママチャリで沖縄目指して出発した」と衝撃の事実を聞いた。・・ふくちゃんが、動き出した!

その後も、「四国入りしたらしい」との情報がちょくちょくと入ってくる。

これは口をぽかんと開けて聞くしかない。

数年後、「ふくちゃん沖縄でできた彼女と、ゲストハウス始めたらしい」と情報が入る。

沖縄まで会いに行った友人が、「ふくよかな女性で、ふくちゃんしあわせそうだったよ」と語っていた。

それが10年前の話である。

それからふくちゃんの情報は入ってこないが、日本のどこかで自転車屋を始めているかもしれないと推測する。

つづく

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