『今は無き不思議な自転車屋の話4』
店主があれだけ好きだった煙草を体が受け付けなくなり、入院したと聞いたのは、ちょうど今頃の冬の最中だった。
友人と一緒に見舞いに行くと、ベッドで横たわりながら照れ臭そうにリラックスしている店主。
何を喋ったのかも覚えていないが、冷たいイメージのある病室が、店主の部屋だけなぜだかあたたい温もりに包まれていたのは記憶している。
店主の表情は実に穏やかで、すべてを受け入れた人間の顔をしていた。
入れ替わり、いろいろな人が見舞いに来るので、わたしたちは早々に退室した。
それが店主と会話した最後の時間であった。
年が明け、2月に店主は亡くなり、通夜の受付を頼まれた。一緒に見舞いにいった友人たちと一緒に。
遺影は、煙草を口にしている店主らしいものだった。
通夜の後の食事には大勢の生前関わりのあった人々が残り、あちこちで笑い声が聞こえたし、湿っぽい空気がまるでなく、時間が深くなると、遺影の前でギターを鳴らして歌を歌う若者もいた。ただあの自転車屋でたまたま縁を持った人たちが、一人の人の別れを惜しんでいると思うと、出会いこそが人生のすべてではないかと感じずにはいられない。
告別式当日、著名な方多数参列する中で、一人だけ異彩を放った男が目に止まる。
自称官能小説家である。
皆喪服姿の中、普段お目にかかることのないふわっふわの茶色いロングコート(足首まである)、そしてグラサン、長髪。
ーもうわけがわからない。
ただ店主の告別式だったからか、不思議と調和していた。
すべてを受け入れられた空間である。
生前店主から「持って行っていいよ」といただいた、アンティークの家具がある。
結婚して長岡に引っ越して来る際、ほとんどの家財道具は処分したのだが、この古くなって味わいの出てきた家具と、あの自転車屋で買った自転車は持参した。
物には興味がないが、そこに詰められた思い出は絶対に消えないような気がするのだ。
(つづく)