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デコさんからの便り

2021.12.15 更新

さあ、STU:L さんのサイトが刷新されて、はじめてのコラムのスタートです! 連載の間隔も、2週間に1度から1か月に1度に。1か月というと、早いようでけっこういろんなことが変化するものですね。

 わたしは二十四節気という昔ながらの暦が好きなのですが、前回は立冬で、そして今はもう「大雪」。ここから冬至までは「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」。温暖化で昔に比べると気候は大きく変わっているはずなのに、なぜか暦の言葉は今も新鮮に響きます。そしてよく見てください、2つ目の漢字は、「寒」ではなく、「塞」。天地の気が塞がれて、人々は砦にこもるように冬籠りをします。水鉢のめだかたちは水底深くに眠り、プランターの野菜は寒さに耐える根菜たちが主に。猫は冬毛におおわれて、暖かい部屋でぬくぬくと眠っています。
 そう、冬は読書にはうってつけの季節! わたしはすばらしい本に出会いました。

『私のおばあちゃんへ』
 ユン・ソンヒ、ペク・スリン他 橋本智保訳 書肆侃侃房

 韓国文学の翻訳書です。韓国文学は、ここ数年たいへん面白く、多くの翻訳書が出ています。近現代史から現代、社会やジェンダーを主題にしたものなど、テーマは多岐にわたっていて、その多くがとても上質です。
 この本は、現代韓国文学の世界で活発に執筆している、70年後半~80年代生まれのまだ若い6人の作家による短編集です。その主題はどれも、「おばあちゃん」。
 登場人物は、おばあちゃんであったり、孫であったり、娘であったり。それぞれの視点から、「老年」そして「女性」であることをへの思いや時間の流れを語ります。

 ユン・ソンヒの「きのう見た夢」では、主人公の夢に、たびたび亡くなった夫があらわれます。彼女は娘や息子とうまくいっていません。でも彼女の夢は「おばあちゃんになること」。その夢はいつまでも果たされず、しかし彼女はいつか叶ってほしいその夢のために、子どもに聞かせるお話の語りを習います。彼女の夢から、娘や息子の夢へと、つぎつぎに移り変わって姿を見せる亡き夫は、うまくいかなかった過去の出来事や、いっこうに叶わない現在の夢を思い出させます。深い悔恨もあります。でもそうした、あれもあって、これもあってこその今なのです。そして、訪れる許し。あきらめ。読後残るのは悲しみというよりも、しみじみとした慈しみの心です。

 6つの印象的な物語の中で、わたしのもっとも好きなのは、ペク・スリンの『黒糖キャンディー』。ピアニストになるのが夢だった主人公は、父の言いなりにあっさりと結婚、出産。夢は叶えられることはありませんでした。そういう時代に生きていました。いつしか孫にも恵まれましたが、若い母親が早世し、孫たちの世話をみるためいっしょに暮らすことになります。多くのことが、その場その場の状況によって変わっていきました。そんなあるとき、息子の転勤で、彼女は子どもたちとともにフランスへ渡ります。言葉の通じぬ孤独な世界に彼女はしずみこみます。

「時間が経つにつれ、祖母のなかの孤独は雪のように音もなく積もっていった。初めはすぐに解けそうな薄い膜のように。やがて腰が隠れるほど分厚くしっかりと降り積もった。」

 そして、そこで偶然、出会い直すのです、ピアノと。ピアノを弾くのは同じアパートの住人である独り者、ブリィニエさん。彼も奥さんと死別した孤独なひとでした。言葉の通じないふたりは、音楽を通じて知り合い、彼女はおずおずと、ブリィニエさんのピアノを弾かせてほしいと頼むのです。そしてふたりは毎日のように、いっしょにバッハやモーツァルトの音楽を聴くようになります。

「そうしているうちに昔のことがあれこれ思い出され、祖母は音楽に身をゆだねて遠い旅に出る。かすかな砲撃の音を聞きながら避難したときのこと、野原に立って眺めた彼方の炎と空を覆った黒い煙(……)、忘れていたはずの過去の些細な記憶がいきなり目の前に広がった(……)。
 映画館を出てひとり歩いているときににわか雨が降ってきて、雨やどりをした軒の下でかいだどこかの店で焼く魚の匂い。頬に触れた湿気と、ざあーっと落ちてくる雨の音。生きているという実感とともに抱いた、すっかり歳をとってしまったという感じ。ああ、こんなにも月日が流れたというのに、記憶はなぜこれほどまでに鮮やかなのだろう。」

「ブリィニエさんには永遠に語ることはないだろうと思った。誰かと一緒にいても見知らぬ島にひとり漂着したかのようだった自分の人生や、一日が長すぎるときはいつも、いっそのこと早く殺してくださいと神に祈るのだが、いざ死んだあとのことを考えると決まって襲ってくる恐怖(……)。でもそれがどうしたというのだ。不思議なことに、もうどうでもよくなった。予想もしなかったことがもたらす楽しさ。計画が狂ったからこそ訪れる特別な喜び。何もかも失ったと思っているときに、真夏の流れ星のように落ちてくる幸せの欠片。(……)」

 引用が長すぎたかもしれません。ただ、わたしにはよくわかるのです。これこそが、誰にも渡せない自分だけのものだと。

 おばあちゃんの年齢になったひとも、これからそこへ歩んでいく豊かな未来のあるひとも、どうぞ読んでみてください。歳をとることは、誰にとってもすばらしい贈り物なのです。

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