スツール

ターバン女のひとりごと

2021.11.15 更新

『今は無き不思議な自転車屋の話3』

ヒッピーのような風貌にして、母性的経営者の店主の周りには、いつも誰かしらが慕い集っていた。

いつだったか、なぜこのおじさんに人は集まってくるのだろうか?と考えたことがある。

おかんのように手早くおいしいまかない飯を作ってくれるだけではない。

店主と接している時の、「ジャッジしない目」にあると思うのだ。

息子、娘のような年代の若者に対しても、誰に対しても、常にフラットな目線を向けている。

大抵の人は、小学校に入ってから大人になるまで、親はもちろん、周囲の大人たちから常にジャッジされ続けて育つ。

運動ができる、できない、勉強が得意、不得意、明るい、活発、おとなしい、消極的、協調性がある、ない。

人間性とは別のところで判断され続けてしまう。

それが店主には一切感じさせないところがあった。

ジャッジがない眼差しというのは、人に安心感を与えるのだと思う。

そして店主は、あり得ないような人間の行動さえも、「あいつ、おもろいなあ」と興味深げに観察する節がった。

物差しが、良い悪いではなく、面白いかどうかということに重点がある。

真夜中に店の二階で、バンドマンたちが集まり、ジャムセッションをしていた時のことだ。

当然だが近所から苦情が入る。

店主は一人、全力で怒られに行き、全力で謝って帰ってきた。

「しかし、めちゃくちゃ、怒ってたなあ!」とキャスターに火を点けながら、それさえも面白がっていたのだ。

つづく

絵・文/ 岸岡洋子

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