スツール

デコさんからの便り

2020.06.10 更新

『庭とエスキース』
 奥山淳志 みすず書房

ようやく京都でも少しずつ、ふだんの生活を取りもどしつつある日々です。この先まだどうなるのかわからないですが、誰しもほっとひと息つく必要はありますよね。
 そんなコロナな日々を忘れないように、日記をつける人が増えたような気がします。わたしは無類の日記好きで、毎朝起きると、今日も日記が書ける、とうれしくなるほどです。
 本にも素晴らしい日記本が数多くありますが、今日は「日記のような」作品をご紹介します。

写真家、奥山淳志さんが、北海道の原野で自給自足の生活を送るひとりの老人、弁造さんを14年にわたって訪ねつづけ、弁造さんが92歳で亡くなるまでの日々を描いた、どこか日記のような作品です。生きること、死ぬこと、記憶、人と人との関係、そして写真というものについて、実に深く、かつ素直な言葉で語られています。読み終えると自然と、涙が一筋、二筋、流れました。

 弁造さんは、若いころは開拓農民で、出稼ぎ人で、でも、ずっと絵描きになりたいという夢を抱いていました。でも、家庭の事情でその夢を果たせず、ようやく晩年、家との絆がうすれたころに、原野を開き、庭や畑をつくりながら、永遠に描き終わることのない習作(エスキース)ばかりを描き残したのです。

 そういう老人が生きて、亡くなっていく日々を、若い奥山さんが訪ね、共に語り、共に歩み、書き残してくれてほんとうによかった、と思いました。弁造さんが亡くなったあとも、奥山さんが弁造さんと語り合った日々を繰り返し思い出すことも、残されたエスキースやメモなどの些細なものを眺めながら、奥山さんも知らない弁造さんの生きた時間を想像することも、奥山さんが撮った無数の写真から、弁造さんの暮らしを思い出すことも、これらはずっと弁造さんに付かず離れず接しつづけた奥山さんにだけ書くことができた文章だと思います。

 レンズを通った光が結ぶ映像は、一瞬のときをつなぎとめるだけに見えて、実はそこに映っていない過去や未来の時間や、その人の周囲の空気を濃厚に香り立たせます。そこに居合わせた撮る人は、その現実の時間と、写しとられた幻影の両方を体験するのでしょう。奥山さんは、そのように見る人、撮る人として、その感覚を、実に素直な飾り気のない文章と写真にして、残してくれました。弁造さんの暮らしの他愛ないこと、その語り口、愛犬さくらの仕草、北国の空や雪、花と風と土の香りを……。
 ただこの本を読むという贈り物を、わたしたちに届けてくれてありがとう、という他はありません。

写真・文/ 中務秀子

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