『ブルックリン・フォリーズ』
ポール・オースター著 柴田元幸訳 新潮社
マスクがあったかーい、なんて言っていたのがついこないだ、と思ったら、もう一年の半分が過ぎて、マスクが蒸し暑いこのごろです。わたしはそろそろ映画館に行こうかなあと思っていますが、今日はそんな思いを晴らす、まるで映画のような小説をご紹介します。
主人公ネイサンは、50代後半。長年、保険屋として平凡な結婚生活を送ってきました。ところがその平凡さゆえに妻に愛想をつかされ、離婚、離職。と同時に肺癌を患ってしまいます。病がなんとか小康を得たころ、ネイサンはニューヨークのブルックリンでひとり暮らしをはじめます。
離れて住む一人娘に、「お父さん、ぼやっと生きてちゃ駄目よ」と叱咤され、ネイサンはあることを思いつきます。それは、「人間の愚行の書(ザ・ブック・オブ・ヒューマン・フォリーズ)」を書くこと。人生にはありとあらゆるバカなことが起こります。自分や他人がしでかしたそれを、思いつくまま書き留めていこうというのです。
そうこうするうち、ネイサンは、長年音信不通だった甥のトムに遭遇します。そして、トムの雇主のハリーや、やはりトムの妹オーロラにも。人生に絶望していた孤独な元保険屋のネイサンのまわりに、いろんな人々が現れてくるのです。そしてその誰もが「元(ex)」を持っていました。元秀才大学院生、元家出少女にして元バンドシンガー、元服役囚……。
生きているとどうにもならないことが繰り返し起こります。そのたびに「もう駄目だ」と思いながら、なかなか駄目にはならず(というより、駄目にはしてもらえず)、なんとか切り抜けなければなりません。トムの母親が昔言っていたのように、「トム、お天気は変えられないのよ」。「いくつかの物事はそうなっているのであって、受け容れるしかない」という具合に。
しかし、みなその物事から解放されるべく、その物事がなんなのかわかろうとし、そして解放されるためには、心を開いていかなければならないと理解します。心の扉を開ける鍵はなんでしょう? わたしはそれは、 kindness だと思うのです。誰かを思いやること、想像することです。そしてその誰かと関わっていくこと。
たとえばネイサンは、この街であらたに親しくなった女性にこう言います(彼女は最近娘につらい目にあわされ、娘を家から叩き出そうかと思っています)。「やめておけよ、ジョイス。パンチにパンチを返すのはよせ。あごをしっかり引けよ。気楽に行けって」と。
この物語に出てくる人々は、みなごく平凡な無名の人たちです。でも誰の人生もこまごまとした物語にあふれていて(とたえそれが、ネイサンの『愚行の書』にしか記し得ないしょうもないことでも)、彼らが kindness や想像力をもって乗り切っていくことを想像をすると、思わず共感を覚え、わたしはとてもしあわせな気持ちになりました。でもしあわせが、しあわせだけでは終わらないのも人生です。この本はそのことにもそっとふれて、物語を終えているのです。
写真・文/ 中務秀子