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デコさんからの便り

2020.09.10 更新

 前回のコラムから2週間。そのあいだずっと、愛猫ももの看病に明け暮れていました。急性膵炎という、もも生まれて初めての命にかかわる大病でした。ももは、あとひと月で18歳というおばあちゃん猫。いつ”その日”が来てもおかしくない、とは思っていたものの、前日までとても元気にしていたので、まるで覚悟ができていませんでした。
 順調に回復するかに見えた病状が、途中でガクンと悪化。夜中、次男とふたり、眠っているももの前に座りこんで、はらはらと泣いていました。でもそこから……ももは無事、快復しました! うれしい! 命っていつまでもあたりまえにあるものではない、と思い知った2週間でした。

 さて、そんな日々も落ち着いてきて、この本を手に取りました。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 ブレイディみかこ 新潮社

 4月にCovid-19に感染したイギリスのボリス・ジョンソン首相が、一時は重症になりながらも回復して、「みなで協力して社会的距離のルールを守りましょう!」と、国民の目をみつめて力強いメッセージを送ったときには、なんてかっこいい! と感心したものでした。

 しかし、その彼の属する保守党こそ、2010年に悪名高い緊縮財政政策をはじめた張本人。それによってイギリス社会は、これでもかというほど福祉や教育への財政をカットされ続け、大きな格差が生まれました。移民、EU離脱問題、人種問題、貧困……。紅茶や愛らしいチェック柄やアンティーク、といった甘いイメージのイギリスは、もう単なる観光目的でしかないのかもしれません。このあたりところは、ケン・ローチ監督の映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2017)にも印象深く描かれています。

 この本は、イギリス在住20年、元音楽ライター(ロックにくわしい!)で現保育士の、ブレイディみかこさんが書かれたものです。タイトルの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、11歳の息子さんのノートの隅の走り書き。日本人の母とアイルランド人の父をもつ彼のちょっとブルーな日々。子どもたちの日常にもある人種差別や教育格差の問題が、まざまざと描かれているのですが、ブルーどころか、うらやましいほどきらきらとした青春の日々が書かれていました!

 息子さんの通う中学は、低所得者層の多い街中の底辺中学。緊縮の波をもろにかぶる彼らを、熱心な教師や、ボランティアをつとめる保護者の努力が支えます。入学式直後に行われるのは、なんと演劇のオーディション。新入生は入学してすぐに演劇に取り組むのです。クリスマス・コンサートでは、社会風刺バリバリのラップを熱唱。イギリスでは、幼稚園のころから言葉で感情を表現する教育がたいせつにされていて、自分の思いをきちんと言葉にして相手に伝えることを叩きこまれるといいます。

 また、シチズンシップ・エデュケーション(市民教育)が充実していて、ある日息子さんに出された課題は、「エンパシーとは何か」でした。そこで彼は、「他人の靴を履いてみること」と答えました。
 エンパシー(empathy)とよく似た言葉に、シンパシー(sympathy)があります。どちらも「共感」と訳されますが、シンパシーは、かわいそうな立場の人や自分と似た意見をもつ人に寄せる「同情」。一方、エンパシーは、自分と違う考えをもつ人や立場の違う人が、どんなことを考えているのだろうと「想像する力」のことだと。だから他人の靴、なのです。

 このほかにも、分断とか格差といった問題についても、それはつきつめれば、「だれかを仲間外れにして、こっち側だけでなかよくしよう」ということと同じではないか、とか、自分と違う考えや感性をもつ人は実はたくさんいる、と知ることこそ、無知から離れておたがいの理解に近づく生き方である、など、眼から鱗のセリフが、いきいきとした子どもたちの生活そのものから、バンバン飛び出すのです。

 いやはや、なんてかっこいい! 画一的一斉教育の日本からは考えられない、まったくもってうらやましいのです。いや、うらやましがっていられるほど事態は甘くはないのでしょう。でも、彼らの波風を立ててでもなんとかよくしていこう! とする態度には、たくましさと同時に、ある繊細な善意を感じました。
 ほんとうの多様性とは何か、いろんな人といっしょに生きるとはどういうことかを、深く考えさせられた素晴らしい本でした。

写真・文/ 中務秀子

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