スツール

Sukkuのクスッと笑わせて

2021.02.25 更新

⑳「所長は市民ランナー」

2月も後半に入りました。2月は子供たちにとって大きなイベント、節分がありましたね。川瀬家も例にもれず豆まきをしました。
今年の鬼はスタッフの樋口が鬼のお面をかぶり我が家を訪れました。
呼び鈴を鳴らし、インターホン越しに映った鬼のお面。そして、新聞受けから低い声で
「おーにーだーぞー。」それを見た子供たちはとても怖がりました。
豆なんかまく余裕はありません。長男は、お母さんに豆を渡し「お母さんがお豆まいて!」と震える。次男は、一粒の豆を握って頑張って投げました。その距離わずか5cm(届くか!)そして、少しだけちびりました。2人ともかなり怖がって、大成功!!
そんな節分も終わり、つい先日の夜のこと、「石焼き芋~」の声が外から聞こえてきました。すると次男、何を勘違いしたのか「おにがきたー」と腰が抜けて泣き出す始末。
来年の節分は怖くない鬼にしないと・・・。

今回のコラムは、杉多さん(仮名)男性、70歳代の方のお話しです。
この方はSukkuを開設して2か月目からご利用いただいている方です。もともとは京都市内出身の方ですが、R大学を卒業後、障害のある方に就労する場所を作りたい!という熱い思いで園部町内に就労支援の作業所を設立されました。
しかし、就労場所を作っても仕事がなければ継続できません。杉多さんは色々な企業を回り、障害があってもできる仕事を苦労して探して確保されました。そのような活動と実績・信頼を長年積み重ねて来られ、勲章ももらわれています。そして、このコロナ禍でも仕事が減ることなく、作業所を利用している方全てに何かしらのお仕事があるそうです。
そんな杉多さん、仕事の傍ら市民ランナーとして色々なマラソン大会に参加されていました。自己ベストは3時間とのことで、かなり本気のランナーだったようです。
日本の大会だけでなく、ホノルルマラソンなども何度も走られたそうで、地域でも有名な市民ランナーでした。実際、Sukkuご利用中の服も、びわこ毎日マラソンや篠山マラソンなど、大会の記念Tシャツを着てトレーニングされています。
そんな杉多さん、数年前に脳梗塞を発症され、軽度の麻痺と失語症、そして認知症を患うようになり、その後徐々に動けなくなりました。
杉多さんの手足の麻痺は軽度で、ある程度身体は動かせる状態。元々スポーツマンと言う情報は得ていたので、私は厳しく杉多さんの身体を追い込みました。病気の影響で身体がとても硬くなっていたので、かなり入念にストレッチもしました。そして、トレーニングもしっかりして、最後は15分かけて作業所まで歩いて帰ることにも挑戦しました。杉多さんと歩いて作業所へ帰ると、スタッフの方が「所長!すごいですやん!!」と驚かれます。そして、杉多さんはニコッと笑顔を返されます。私はその時の顔が大好きでした。
そんなハードなリハビリを週2回実施し、歩く力も戻りました。
次の目標として私が「杉多さん。走る練習しましょうか!」と問うと「え~!!」と言いながらも、さすがスポーツマン!歯を食いしばって頑張りました!
そして、上り坂や下り坂・階段なども交えたトレーニングをして、10分程度ジョギングが出来るようになりました。(これはホントにすごい!)
状態もとても良くなったので、そろそろSukku卒業に向けて回数を減らしましょう。ということになり、ご利用が週1回になりました。
杉多さんも休みの日には外を歩いたりして頑張っておられましたが、ある日、大きく転倒してしまったのです。顔を強打され擦り傷も出来ました。
その日からご本人・ご家族の不安が強くなりました。
そして、自宅から出ないようになりました。出さないようになってしまいました。
私たちもなんとか前の状態に戻そうと頑張りましたが、それも難しく徐々にいろいろな能力が低下してきました。身体機能も認知機能もです。
特にショートステイ利用後の能力低下は著しく、身体の状態を見ただけで今週ショートステイに行ったかどうかが分かるくらいでした。(ショートステイは必要な制度です)
Sukku利用中も、職員の声掛けに対して頷くだけの日が多く、言葉はほとんど出てきません。歩行も手を引いて介助が必要な状態になってきました。しかし不思議なことに、トレーニングマシンに座ると体が覚えているのか・・しっかりとトレーニングに励んでおられました。
今月に入り、杉多さんのSukku卒業が決まりました。その理由は、作業所からSukkuに通うことが難しくなったからでした。約3年間の利用でしたが、ここ数か月は歩くことも介助を要し、コミュニケーションも難しい状態でした。
最後のご利用日、私から他の利用者さんに杉多さんが今日で卒業ですと伝え、杉多さんが今までしてきた偉業を話しました。そして、おそらく言葉は出ないだろうな・・と思いながらも、「杉多さん、最期に一言お願いします。」と伝えました。
すると、杉多さんは泣きながら「長い間お世話になりました。ここでは、本当によくしてもらいました。これからどうなるか分からないけど、しっかり頑張ります!」と大きな声で話をしてくださったのです。それを聞いた私たちスタッフは、思わず泣いてしまいました。数か月ぶりに聞いた、しっかりとした声でした。
帰りの車内でも、杉多さんはよく話しをされました。
それがとても嬉しかった2月の出来事でした。
杉多さんの人生はまだまだ続きます。
杉多さんの人生に関われたSukkuは心から幸せでした。
これからも利用者さんの人生の終盤戦を共に過ごせたらいいなと思います。(おしまい)

次回のコラムは「話す内容の90%はウソです」

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