スツール

Sukkuのクスッと笑わせて

2021.08.25 更新

㉛コラム「偉大なる社長さん」


 スツールのコラムをご覧の皆さま、お元気ですか?猛暑日や大雨の日があり体調を整えることが難しいですね~。私たち川瀬家は、先日コロナワクチン接種を終えました。2回目は夫婦ともに、副反応の発熱と倦怠感でダウン・・。ダウンしたその日がスツールのコラムの締め切り日でした。とてもじゃないがパソコンの画面に向かってコラムを作れるような状態ではなかったので、無理を言って休載させていただきました。

今回のコラムは、男性で80歳代の元橋さん(仮名)です。
この方は、脳梗塞の影響で右半身の麻痺があり、右手と右足はほとんど動きません。失語症もあるので話すことができず、相手の話す内容も長文を理解することは難しい状態です。
元橋さん、病気になる前は実業家でした。
元橋さんは学校を出てすぐに、洋服屋さんに丁稚奉公されました。そこでの生活は苦しく、修行中であり丁稚奉公の中でも一番下っ端でした。まだまだ成長期の少年時代でしたのでいつも空腹でしたが、食事も十分にはない生活だったそう。その洋服屋さんには犬がいたのですが、その世話も元橋さんがしていました。犬の餌を作るのも元橋さんの仕事でしたが、あまりの空腹に毎食少しづつ犬のえさを自分の胃袋に入れていました。すると、犬が少しずつ痩せていき栄養失調状態になり、親方に大層怒られたそうです。
その後、仕立て屋として独立。当時としてはかなり珍しかった、低価格のオーダーメードスーツ屋さんも始められました。京都・兵庫で3店舗を出店します。そして、携帯電話の取り扱いもされるようになり、京都府下で3店舗出店。一番最近では、ソーラー事業も立ち上げられました。3つの事業とも今では当たり前にあるような事業ですが、当時は大変珍しいものばかりでした。
私が思うに元橋さんは先見の明があり、これからの世の中のことを常に考えていて、何が必要になってくるかを判断し、そしてそれを、凄まじい行動力でやりとげる力がある方なんだなと思っています。
事業だけでなく、町おこしのイベント等も色々と発案されていて、京丹波町で行われているマラソン大会や、園部町で月1回行われていた軽トラ市(軽トラがたくさん集まってイベントや販売を行う)もそうです。
今でこそ会社も大きくなり、従業員も60人以上いて大成功しているように思いますが、何度も辞めようと思ったことがあったそうです。特にスーツ屋さんは大変で、ある支店の売り上げが悪く銀行からの借金もかさみ、会社の重役会議で支店を閉めようと決まったそう。元橋さんは、これでゆっくりと眠れると思ったそうですが、翌日従業員総出で「社長もう一回頑張りましょう!」と言われたとか。優しい元橋さんはアカンとは言えなかったそうです。
元橋さんには3人の息子さんがおられます。お孫さんは5人おられます。
病気になる少し前、社長職を辞めて会長職になられました。社長は長男に譲られ、次男・三男が各事業の責任者をしておられます。そして、それぞれの事業が成長しています。これはやっぱり、元橋さんがすごかったのだと思います。
次男さんが私に言われたことがあります。「まだ、会社が小さかったころ、会社兼自宅で生活していて親父が仕事している姿を見ながら生活していました。だから子供たちは皆、父親の仕事を尊敬していたし、跡を継ぐことに迷いがなかったんだと思います。」と。

元橋さんは負けず嫌いでもありました。普段家では車いすで生活されていましたが、Sukkuでは杖を使ってゆっくりですが、歩いて移動していました。トレーニングに対しても積極的で、「元橋さん、そろそろ休憩しましょう!」と言わない限り、休まず頑張る方でした。周りの利用者さんも元橋さんを見て「あの人よく頑張らはるなー!私も負けんと頑張ろう!」とよく言っておられました。失語症の影響で話をすることはできないですが、頑張る姿で周りに影響を与える方で、その存在感はまさに、偉大な社長の姿でした。
そんな元橋さんも、昨年お亡くなりになりました。
お通夜に行かせていただきましが、息子さん3人が並んでいて参列者に挨拶をされていました。この時の光景を見て私は「3本の矢の教え」を思い出しました。
先に逝かれた奥さんと一緒に、天国から逞しい息子さんたちを見て安心されているだろうなぁと思いました。(おしまい)

次回コラム「96歳!奇跡の復活!!」

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