㉜9月に入りましたね。小学校も幼稚園も2学期が始まりました。
今年の夏休み、我が家の子どもたちはほとんど南丹市から出ていません。ですが、十分に楽しんでいたように思います。
自宅が完成して伸び伸び遊べるようになったこと、そして、自宅から15分程度で行ける公園で川遊びを覚えたからです。実は水が苦手な子供たち。全く泳げません・・。私達は、あまりにも泳げないことに少しだけ不安を持っていたのですが、この夏は長男の同級生家族に誘ってもらい初めて川に行きました。
そして、ハマりました。相当楽しかった様です。雨の日以外は、毎週川遊びに行くようになりました。おかげで子供もバタ足が出来るようになりました。
山間にある川ですのでヘビやカエル、カニ、魚も近くにいるし、山の緑も、空の青さもすべてが清々しい。自然の中に身を置くだけで、心も体もこんなに軽くなるんやな~と、改めて感じました。子供の成長も見れたし、とても楽しい夏休みでした。
さて、「奇跡の95歳」。
Sukkuで働いていると、毎日楽しいこと嬉しいことが起こります。
その中でも特別嬉しいことと、驚いたことがありましたので紹介します。
何度かこのコラムで紹介したことがある女性、95歳の春江さん(仮名)です。
春江さん、自宅での転倒が増えてきていました。転倒の理由はよく分かりません。心疾患があるので、急に意識が飛んでの転倒も何度かありました。今年の3月、自宅で転倒して腰を強打し、骨折。そのまま本人の強い希望で入院となりました。
3か月の入院中は、リハビリを一生懸命されました。退院したら、またSukkuに行くんや!を合言葉に、それは頑張っておられました。
しかし、お年寄りが3か月も入院すると、リハビリを頑張っていてもどうしても色々な能力が落ちます。春江さんもそうでした。
6月初旬に退院され、今後について話し合いをしたのですが、3か月振りに見た春江さんは、想像以上に弱っていました。ベッドから起きることも、介助が必要でした。そして、とても痩せていました。
この状態ではSukkuでトレーニングどころではなく、自宅から出ることも難しい状態。正直私の心の中では、もう春江さんがSukkuに来ることは難しいと思いました。
しかし、春江さんは私に会って一言目にこう言われました。「先生、お家はできましたか?」
私はそれを聞いて絶句しました。確かに、春江さんは自宅をリノベーション工事していることを知っていましたし、工事現場も見ておられました。しかし、3か月の入院中コロナ禍で家族とも会えず、こんなに痩せて歩くことも出来なくなっているのに、久しぶりに会った私への一言目がこれです。春江さん95歳です。凄すぎてしばらく言葉が出ませんでした。
しかし、今のままでは自宅から出ることも出来ないので、Sukkuは7月からにしましょうと、娘さんとも話し合って決まりました。しばらくは、訪問リハビリや1日型のデイサービスへ週2回通うことになりました。
私はその間、週1回娘さんに連絡し春江さんの調子を聞いていました。そして、予定の7月になり、sukkuを利用できそうか確認したところ、1日型のデイサービスに行っても寝てばっかりとのことで、7月中の利用は難しくなりました。
8月に入り少し元気になったと聞きましたが、Sukkuにはまだいける状態ではないとのこと。それどころか、娘さんからは「これ以上待ってもらうと迷惑かかるから、もうSukkuさんやめようか・・」との声もありました。しかし、私もスタッフも、他の利用者さんも春江さんに会いたかったので、「8月中は待ちます!」と伝えました。
8月に入り、1週目も2週目も来れませんでした。もう無理かな・・と思った3週目の朝に電話があり、「本人行くって言うてます。」と娘さん。私もびっくりしました。そして、はやる気持ちを抑えながら、自宅に迎えに行きました。すると、車いすに座っている春江さんを発見!久しぶりに会った春江さんは姿勢を正し「おはようございます!」と大きな声であいさつ。その声を聞いた私はうれしくて・・。
予定より早くSukkuに着いたので、完成した自宅を見ていただきました。とても、喜んでくれました。そして、他の利用者さんも到着して、感動の再開!!そこでも驚かされることが。なんと皆さんのお顔を一人ずつ見ながら、その方々の名前を言って挨拶をされたのです。もうみんな、びっくりするしかありませんでした。そして、「こうやってSukkuに帰ってこられる日がやって来るなんて、本当に夢みたいです!皆さんの顔を見たら、久しぶりに実家に帰ってきたような気持ちになりました。」と。
さぁ、車いすで移動しながらのトレーニングが始まりました。久しぶりだから、さすがの春江さんも少ししかトレーニング出来ないだろうと思っていましたが・・春江さんはなんと、全部やってしまいました。そして、私に「車いすは嫌いです!自分で歩きたいです!」と大きな声で言われました。何度もです。
そこで私は、杖を2本渡して歩いてもらうことにしました。もちろん、私が後ろに付いてです。( 私は、絶対に歩けないと思っていました )春江さんが立つところを手伝って、杖を渡して、さあ歩こう!
すると、2・3歩目でフラッとなり転倒しそうに。私が、支えて再度そのままトライ。そこからは私が手伝うことなく、足で手で必死に踏ん張って歩きました。その距離5メートル!それを見た、スタッフは泣きました。私も泣きました。
他の利用者さんからは自然と拍手がおこり、歓喜の声が。本人も「うわー歩けたー」と涙。
入院中、ベッドの上で天井を眺める日々。「もうこのまま死にたい」と何度も思ったそうです。さすがの春江さんも、この数か月は心が折れそうになった。と話してくれました。でもやっぱり、まだ諦めたらあかん。と自分に言い聞かせていたと。
「今まで自分の限界を、自分で決めていました。情けないです。可能性は誰にでも、いくつになってもあるのですね。」パラリンピックを見て、感じたことだそうです。初めて自分の足で歩けなくなり、そんな中で見たパラリンピックは、今までとは景色が違ったそうです。
「人生、死ぬまで勉強ですわ。」これ、春江さんの口癖です。
私はこんな95歳を見たことがありません。いや、6月に誕生日を迎えたので96歳か。
杖で歩けたあの日から、春江さん休むことなく来られています。最近では車いすをやめて、スタッフが手を引いて歩いて移動できるようになりました。
春江さん。私達は今一緒の時間を過ごせてとても幸せです。(おしまい)
次回コラム「爆笑!小ネタ集」です。