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デコさんからの便り

2021.01.25 更新

 2度目の緊急事態宣言が出てしまいましたね。病気の様子もほぼわかり、備えもあり、以前ほどあわてないにしても、またも大きな緊張を強いられいます。先が見えない……このことは、誰にとっても大きなストレスではないでしょうか。

 そんな日々、わたしは身の回りのものに目を向ける機会が増えました。むかしからずっとたいせつにしているものや、空の上にいる両親の残したものを手にとって、じっくりと見る機会をもったのです。

 子どものころ、海のそばの街に住んでいました。休みごとに家族で浜辺にでかけ、貝殻集めをするのが大好きでした。図鑑で調べた名前を記した紙片をはさみ、たいせつに箱にしまって、なくさずにきました。また、ずっと大好きな本。古くなって背表紙が黄色くなってはいても、そこにある題名をながめるだけで、読んだときに想像した世界が目の前にふわっとひろがります。……そんなものたちを、ただだいじにしまっているだけではもったいない。そう思って、ごく間近に、目や手に触れるところに並べてみました。日々の忙しさにまぎれて、新しいものの奥へ奥へとしまわれていたのものたち、また会えたね。大好きという、その気持ちをかみしめると、ああ、なんて気持ちがいいんでしょう。

 京都新聞の記者をされている行司千絵さんの本、『服のはなし』にも、幼いころから服作りが大好きな行司さんが、ずっとたいせつにされてきた布や毛糸、ボタンやリボン、そして手作りの話が書かれています。

『服のはなし』(副題:着たり、縫ったり、考えたり)
行司千絵著 岩波書店

 行司さんは、何より服作りが好きな人。そして縫い物や編み物をしながら、つらつらといろんなことを考えます。この素材はどこからきたものなのか……植物由来だったり、動物のものだったり、いろいろ。肌触りのいいものは自然の賜物であることが多いのですが、たいせつに採取されるものも多い一方で、それを手に入れるために人間は、動物をつらい目に合わせることもあるとも知ります。

 それから、手作りは素材選びからといいますが、それを買うお店のあり方にも思いはめぐります。街の手芸店はどんどん減って、ネット通販がひろがり、便利にはなりました。でも、街で偶然素敵な素材に出会ったり、お店の人と触れ合う楽しみは減りました。そもそも、ものを売る、という行為と手作りの趣味のあいだには、どういう違いがあるのか。ここでは経済や社会の問題が考えられます。

 また、手作りという行為そのものについて。昭和の初期までまだ着物文化だった日本に、豊かな外国の文化が入ってきました。子どもたちの服装も、かわいい洋服を着た絵本の主人公につられて、洋装化。まだ既製品がないため、母親たちの手作りが中心になりました。そこから、手作りという行為の変遷や、ひいては女たちの生き方についてへも、行司さんの考えはひろがります。手作りをしてくれたおかあさんやおばあちゃん、家族への思いも、ていねいに語られます。

 わたしも編み物をしながら、つらつらといろんなことを頭にうかべます。無心に手を動かしていると、日々モヤモヤと考えていることがまとまってきたり、いや、もっとモヤモヤしたり……。この行ったり来たりの迷い、逡巡する思考のなかで、答はなかなか出てこなくても、自分なりの納得に向かって、手を動かしながらじっくりと時間をかけることができるのです。

 多くのことには、この”時間をかけること”が忘れられてきているのではないでしょうか。むしろ時間のかかることは、うとまれがちです。今はなんでも、パパッと、チャチャっと、サクッと、やれてしまいます。たとえば写真。スマホで誰にでもけっこう素敵な写真が撮れます。でも……きれいなんだけど、そうなんだけど……。何かだいじなものがとりこぼされはいないかな。そうやって置いていかれたものの中にこそ、決して目立たないけれど、たいせつなものがあるんじゃないかな。

 わたしは下手ですが、フィルムで撮ったり、デジタルでもマニュアルモードで撮ったりすることが好きです。たしかにそれはめんどくさい。失敗もする。けれども、だからこそ光をとらえる瞬間を待ったり、その場の雰囲気までを写真に焼き付けようとしたりします。そのめんどくささでしか得られないものがあるのです。なぜならそこには、時間という、かけがえのない思いをかける余裕があるからです。やさしさや思いやりは、そんな心の余裕からしか生まれないと、わたしは思うのです。

 行司さんの巡る思いや迷いからも、やさしさがいっぱいあふれ出てきます。とても気持ちのいい本です。ぜひ読んでみてください。

写真・文/ 中務秀子

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