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デコさんからの便り

2021.02.10 更新

 先日、自分にとってほんとうにたいせつなものはなんだろう、と考えるきっかけがありました。

 お正月に、お餅ではなく珈琲が、のどの奥にすいっと入りこみ、誤嚥になってしまいました。しつこい咳き込みがとまらず、肺炎の検査をすることになったのですが、そのとき思いも寄らず、腫瘍マーカーに黄色信号が点ったのでした。びっくりした、というよりも、ああ、ついに来たか、という思いでした。

 昔、今のわたしと同い年で、母がステージ4の胃がんになりました。その後母は長くつらい闘病の末、命をとりとめ、88歳の生をまっとうしたのですが、いよいよわたしもそういう年になったのだなあ、と思ったことでした。

 先日ここでとりあげた法然院の貫主、梶田真章さんは、「自然と人間の共存」という考え方はおかしい、とおっしゃっています。人間と自然は対立しているのではなく、人間も自然のなかにあって、まじりあって生きているのだ、と。だから衰えも死も病気も、ただ自然の成り行きなのです。

 わたしは自分の時間にも限りがあるのだと、いまさらながらに実感しました。そしてこのとき、こころのすみずみまで見回してみて、なんの後悔もなかったです。

 さいわい再検査の結果、事なきを得たのですが、事なし、とは無事ということ。なんてほっとする言葉でしょう。そしてこれからは、自分にとってたいせつなことをより考えて生きていこうと、深くつよく思ったのでした。

 さてそんなことをつらつら考える日々、陽射しは早春のかがやきを帯びてきています。きょうご紹介したいのは……。

『ほんとうのリーダーのみつけかた』
 梨木香歩 岩波書店

 昔からひとは、多様な自然のなかで生きるにあたって、群れをつくって生きてきました。そこにはリーダー的存在がおり、リーダーのもとにまとまることで、人間は生き抜いてきました。
 しかし、そのリーダーに認められることばかりを気にかけていたら? それは、世間の評価を過剰に気にすることにもつながります。他人にいいと思われたい。そういう思いは、現代の日々のSNSにもあふれています。

 いつもだれかにいいと思われなくてはいけないの? と梨木さんは問いかけます。

 そうではなく、自分自身のなかにいる、もうひとりの自分の目で、自分を客観的に見直すこと。自分のなかの、もうひとつの声に耳を傾けて、意見を聞いてみること。わたしたちのほんとうのリーダーは、そのひとなのではないか。

「だれよりもあなたの事情をよく知っている、両親よりも、友だちよりも、いわんや先生たちよりもあなたのことをすべて知っている。あなたがそういうことせざるをえなかった、あなたの人生の歴史についてもだれよりも知っている。あなたの味方。いつだって、あなたの側に立って考えてくれている。
 そう。あなたの、ほんとうのリーダーは、そのひとなんです。
 それはさっき私が言った、「自分のなかの目」でもあります。同じひとです。そのひとにぴったりついていけばいい。
 自分のなかの、埋もれているリーダーを掘り起こす、という作業。それは、あなたと、あなた自身のリーダーを一つの群れにしてしまう作業です。チーム・自分。こんな最強の群れはない。これ以上にあなたを安定させるリーダーはいない。これは、個人、ということです。」

 ほんとうのリーダーと対話するためには、まず、自分自身で考えなければなりません。おかしいな、と思ったことをたいせつにして、自分の言葉をさがす。そうすることで自分らしさを保つのです。

 でももしそのとき、自分が間違っていた、と気づいたら? それでもいいのです。負けを素直に認めてやり直せば。そうすれば、以前よりもっとしっかりした、深みのある自分にたどりつきます。

「尊厳を感じさせ、優雅である負け方もあります」と梨木さんは言います。

 負けを素直に認める。それは自分の全否定ではありません。この分野では間違っていた、ただそれだけです。誤りを認め、考えなおす。その先には、新しい清々しい世界が広がっているのです。

 ほんとうのリーダーと対話することによって、自分を客観視し、内省し、自分にふさわしい言葉を選ぶ。そうすることで、揺るがない主体性にいたる。自分にとってなにがたいせつなのかを教えてくれるのは、自分と、自分のなかのほんとうのリーダーとの対話の言葉なのでしょう。

写真・文/ 中務秀子

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