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デコさんからの便り

2021.05.25 更新

 わたしは5月生まれ。家族にも5月に誕生日を迎えるものが多く、一年のうちでもっとも親しみを感じる季節です。6歳くらいの頃、めずらしく父とふたりで、すこし遠くの城跡公園へ出かけました。それも5月の頃でした。ひたすら高く青い空、爽やかな風、豊かな樹々、草地の緑の香りが、深く記憶に残り、父がそのとき撮ってくれたたくさんのモノクロ写真から、今も鮮やかによみがえります。

 ところが……今年の5月は、なんと1か月も早い梅雨入り。観測史上最速で、毎日うっとおしい雨がつづきます。せっかく植えた野菜の苗も、最初になった茄子の実が腐ってしまいました。プランターに苗から育てるわたしの野菜づくりは、ほんのささやかなリアルな体験にすぎません。けれど、たったそれだけのことでも、食べものを育てる厳しさへと想像はおよび、そこからさらに、気候変動へと考えは広がってゆきます。

 昨今はもうだれも、気候変動への疑念をもつことはできないでしょう。自然がとてもおかしい。その原因が人間の活動であることに、だれも疑いをはさめません。日々のゴミ出し、食品をおおい尽くすプラスチック、夏ごとに発生する大雨、洪水……。毎日の暮らしのあらゆるところに、不安の種はころがっています。このままではどうなってしまうのか。いくら庭で植物を育てても、今すぐに周囲から緑が消えてなくならなくても、不都合な事実はおおい隠せないのです。

 そんなとき、こんな本を読みました。

『人新世の「資本論」』
 斎藤幸平 集英社新書

「富」とはいったいなんだろう? 最初の問いはそこからです。お金? 美しい服? 豪勢な食べ物? ラグジュアリーな旅行? それらはほんとうの富だろうか。
 そうではない、と著者はもう一冊の本、『100分de名著 カール・マルクス 資本論』で述べています。

「例えば、きれいな空気や水が潤沢にあること。これも社会の『富』です。緑豊かな森、誰もが思い思いに憩える公園、地域の図書館や公民館がたくさんあることも、社会にとって大事な『富』でしょう。知識や文化・芸術も、コミュニケーション能力や職人技もそうです。貨幣では必ずしも計測できないけれども、一人ひとりが豊かに生きるために必要なものがリッチな状態、それが社会の『富』なのです」

 このほんとうの富が、商品でないことはあきらかです。とくに自然は、経済成長では守れません。それなのに、20世紀に入ってうなぎのぼりに発展してきた経済は、便利さと引き換えに、自然環境をどんどん悪化させ、動植物を絶滅させてきてました。長い間、この問題は、発展しつづける技術で乗り越えらると語られてきました。そして環境保全をさえ商品化しようと、グリーン政策などが提唱されてきたのです。でも破壊のスピードは、それらではもう止められません。そう、成長ではもうどうにもならないのです。

 そこで著者が主張するのは、脱成長です。成長を止める。そんな……? と思いますよね。わたしもそんな生活に耐えられるのか? と最初は思いました。しかし、この本は我慢の思想を唱えるものではありませんでした。今のやり方による成長を止めても、ほんとうの「富」や「豊かさ」にいきつける道が必ずある、と説いています。

 空気、水、食べ物、気候、時間……このようなほんとうの富を、社会に共通の資本にする。鍵はそれです。今までは、ただゴミが目の前からなくなればいい、と簡単に燃やして世界中の水や空気を汚してきました。食べ物や着るものも、貧しい国に劣悪な労働を肩代わりさせて、安く大量に手に入れてきました。こうやって、汚いもの臭いものを外部に押し付けてきたのです。そうして見ないようにしていたことを、ちゃんと見よう。周囲のみんなとちゃんと考えていこう。おしゃれなロハスでも清貧の思想でもない、市民レベルでほんとうの富を共通の話題にして、考えて、行動にうつそう。

 でも、具体的に何をすればいいの? そうなんです、いつもそこで立ち止まってしまう。ただエコバックを買えばいいとは、決して思っていません。でも小さな存在であるわたしに、いったい何ができるのでしょう? そのヒントをこの本は指し示してくれます。

 市民が出資して電力を地産地消する市民電力、共同出資・協同運営のワーカーズコープ、市民参加で自治的におこなう社会運動。それらの動きが、スペインのバルセロナや、オランダのアムステルダムで、活発に行われているという実例があげられています。それらはなんとか頑張れば手にすることができる、ほんとうの意味のわたしたちの富のようです。
 気候問題や脱成長というと、とかく暗くお説教くさく響くものですが、1987年生まれのこの若い思想家の言葉は、小さな存在の自分にもできることがある、と希望を感じさせてくれるものでした。

 なお、この本の論旨は、タイトルにある通り、マルクスの『資本論』をもとにしたものです。しかし、ながく『資本論』とされてきたものとは大きく異なります。これまでの『資本論』は、マルクスの初期の思想で、労働者の解放と生産力至上主義とをつよく結びつけたものでした。けれど晩年、彼の思想は、エコと脱成長へと収斂してゆきます。そしてその思想は、草稿や書簡のままで、まとまった書籍としては未刊行なのです。それらが現在、世界中の研究者の手でまとめられようとしています。著者もその研究者たちの一員です。

 経済思想にはまったくうといわたしにも、よくわかるように語られた本書は、前述の『100分de名著』とあわせ、ほんとうに良書です。おすすめします。

写真・文/ 中務秀子

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