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デコさんからの便り

2021.06.25 更新

 6月の朝は、なんて気持ちがいいのでしょう。このところ、わたしは朝4時半ごろに目覚めます。それはちょうど夜明けの時間。空はまだ明けきっていなくて、庭はひんやりして薄い水色の空気に包まれています。ものの色は光があたってこそ見えるのだなあと、つくづく思います。だんだん夜が明けてくると、光のつよさが増してきて、草木の緑がくっきりと濃さを増してくるのです。さあ、朝です!

 土曜日の朝刊に、ある習慣についてのコラムが載っていました。筆者は、毎週決まった日の朝に、次のような事柄をノートに整理して記すのだといいます。①連絡したい人 ②今すすめたいこと ③将来やりたいこと ④提出する課題…のように。

 で、今朝わたしは日記を書いたあと、これをまねて書き出してみました。ただし、項目は自分に合うように変えて……。①今やりたいこと ②今やるのがたいせつなこと ③はずせない予定 ④この先やりたいこと、の4つです。
 ①はだんとつ1位で、読みかけの本の続きを読みたい、でした。そのあと、朝の散歩でフィルム写真を1本撮りきりたい、もうすぐ編み上がるセーターを完成させたい、映画を観たい……とまだまだ続きます。

 もうお気づきと思いますが、①と④は、「やりたいこと」です。文字通り、わたし自身がやりたーい! と思うこと。今か将来かの違いがあるだけです。一方、②と③は「たいせつなこと」です。たとえば家の水道が壊れていたら、今すぐたいせつな家族のために修理を頼まないといけません。愛猫の定期検診があすだったら、忘れないように獣医さんに行かないといけない。つまりこれらは、自分と周りの人の暮らしを守るために必要な、たいせつな事柄です。

 こうしてみたのは、ある建築家が書いていた文章を思い出したからです。そのひとはこう言っていました。

「人生にはやらなければならないことと、やらなくてよいことがあるのではない。たいせつなことと、やりたいことがあるだけなのだ」

 やらなければ、やらなければ、と自分を追いつめるのはやめましょう。やりたいか、たいせつかで、考えればよかったのですね!

 さて……またまた長い前置きになってしまいましたが、わたしは、やりたいこととたいせつなことを同時にひとつ、思い出しました。このコラムを書かなくちゃ。です。今日の本はこの本にしてみました。

『お繕いの本』
  野口光 日本ヴォーグ社

  デコのお便り初の手芸ムック本です。
 野口光さんはダーニングの作り手。つまり、かけはぎ修繕技法の専門家です。野口さんはもともと、25年以上もデザイナーとして、毎年新しいデザインや商品を作り出していました。でも次第に、季節に先駆けてどんどんものを作る現場の仕事に、矛盾や疑問を感じるようになります。そんなときに出会ったのが、ダーニング。ちくちく手縫いで破れやほころびを繕うことで、新たな美しさを生み出す針仕事でした。

 ダーニングはふつうの手芸と違って、作品を完成させることが目的ではありません。愛着のあるもちものが朽ちてしまう前に、修繕して、別の形に育っていくことを手助けする仕事です。

「傷みを育てることが楽しくなれば、衣類と自分、ものと自分の関係も自然と変わってくるでしょう。自分の身の回りのものに、自らが手をかけることがどれだけ気持ちを整えてくれるか。」

 と、野口さんは書いています。
 また、3年前に出た『野口光の、ダーニングでリペアメイク』にはこうあります。

「繕いとは、自分の手でものの延命の一端を担いながら、さらには自分や他人の心までも癒してくれること。」

 野口さんは以前イギリスで行われた、テキスタイルアーティストのセリア・ピムと、生物神経学の研究者リチャード・ウィンゲイト博士の共同研究プロジェクトを報告しています。

 ピムさんはダーニングを、ウィンゲイト博士は「解剖実習が医学生に及ぼす心理的影響」を研究していたのですが、ふたりは、外科手術とダーニングが、「繕い」という共通点をもつことに気づきます。そこでピムさんは、医学生たちが解剖実習を行うかたわらで、ダーニング作業をしました。そのような行為が、解剖実習室の学生たちにどのような影響を及ぼすかをみようとしたのです。

 持ち寄られた素材は、学生たちが着古したシャツやパジャマ、ジーンズなどです。そしてピムさんは、なぜそれを持ち込んだのか、持ち主とそのものとの関係性はどういうものかを聞き出しました。たとえばシャツの肘が擦り切れていたりすると、その人の生活の仕方や癖を発見でき、その人をより理解できるようになるというわけです。

 ピムさんは次のように言いました。

「どんなに上手くいった修繕でも、決して新品のようにはならないが、再び使えるようになり、ものへの慈しみがわいてくる。それは、ものも体も同じ。同じ空間で、医学生たちと解剖(傷んだ場所を解く)、検証(傷み具合を見る)、縫合(縫い合わせる)という修復作業を共有することこそが、大切だと気づきました。」

 それに対し、ウィンゲイト博士はこう分析したのです。

「ひたすら繕うピムさん。その姿が実習室の空気の流れを穏やかにし、学生たちの志に寄り添うことで心を鎮めたのではないか。」

 さて、わたしの「①今やりたいこと」リストにダーニングが加わったことは、もうおわかりでしょう。そしてもうやりはじめちゃったのです、30年前から愛着している、袖口の擦り切れたセーターで!

 この2冊の本には、ダーニングのやり方が、手にとるように丁寧に書いてあります。どうぞ手に取ってみてくださいね。また、このコラムの初回(2020年5月)に書いた、藤原辰史著『分解の哲学』にも、「修理の美学ーーつくろう、ほどく、ほどこす」という、とても深い内容の章があります。よかったらそちらも読んでみてください。おすすめします。

写真・文/ 中務秀子

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