『ターバン女、盆踊りに目覚める』
高校時代、運動はまったくダメなのに、なぜだか体育のダンスだけは得意だった。
創作ダンスにおいては、考えなくてもスラスラと振りが出てきて、人前に出ることが苦手なくせに、踊ってれば堂々と表現できた。
自分でも謎だった。
大人になってから、いわゆる踊りを習いたくて、フラやベリーダンス、アフリカンダンスなどの門をたたくも、いつもピンとこないのである。
しかし4、5年前に長岡天満宮の夏祭で江州音頭を踊ってから、雷に打たれたように身体中に電流が走った。
唄い手の声、太鼓、リズムに、細胞という細胞が、プチプチと音をたてて歓喜している。
これはもう、日本人の血が騒いだとしか言い様がない。
でもこれが踊るということの、原点かもしれない。
小さな子供は、音さえあれば勝手に踊り出すし、楽しいから踊るのだ。
そこにうまく踊ろうという概念はない。
ターバンを巻き、エスニック柄のワンピースという、めでたい格好で、息子の着替えなどが入ったパンパンのリュックを背負い、我を忘れて二時間ぶっ通しで踊っていた。
その現場は知り合いのママさん数人に目撃されており、後で「なんかすごかったので、声かけられなかった」と皆口を揃える。
その後高揚感冷めぬうちに、盆踊り保存会の門をたたいたというわけだ。
諸先輩方にパッションこもったご指導いただいて、少しはましな踊りになってきただろうか。
踊りの先生は80歳を過ぎても、踊りへの情熱は誰よりも熱く、元気でエネルギーが高く、驚愕する。
わたしと先生の共通点は、「踊ることがめちゃくちゃ好き」ということだった。
文/ 岸岡洋子