スツール

ターバン女のひとりごと

2021.07.25 更新

『ターバン女、盆踊りに目覚める』

高校時代、運動はまったくダメなのに、なぜだか体育のダンスだけは得意だった。

創作ダンスにおいては、考えなくてもスラスラと振りが出てきて、人前に出ることが苦手なくせに、踊ってれば堂々と表現できた。

自分でも謎だった。

大人になってから、いわゆる踊りを習いたくて、フラやベリーダンス、アフリカンダンスなどの門をたたくも、いつもピンとこないのである。

しかし4、5年前に長岡天満宮の夏祭で江州音頭を踊ってから、雷に打たれたように身体中に電流が走った。

唄い手の声、太鼓、リズムに、細胞という細胞が、プチプチと音をたてて歓喜している。

これはもう、日本人の血が騒いだとしか言い様がない。

でもこれが踊るということの、原点かもしれない。

小さな子供は、音さえあれば勝手に踊り出すし、楽しいから踊るのだ。

そこにうまく踊ろうという概念はない。

ターバンを巻き、エスニック柄のワンピースという、めでたい格好で、息子の着替えなどが入ったパンパンのリュックを背負い、我を忘れて二時間ぶっ通しで踊っていた。

その現場は知り合いのママさん数人に目撃されており、後で「なんかすごかったので、声かけられなかった」と皆口を揃える。

その後高揚感冷めぬうちに、盆踊り保存会の門をたたいたというわけだ。

諸先輩方にパッションこもったご指導いただいて、少しはましな踊りになってきただろうか。

踊りの先生は80歳を過ぎても、踊りへの情熱は誰よりも熱く、元気でエネルギーが高く、驚愕する。

わたしと先生の共通点は、「踊ることがめちゃくちゃ好き」ということだった。

文/ 岸岡洋子

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