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デコさんからの便り

2021.09.25 更新

 南の窓から入ってくる光が、いつの間にか、部屋の中まで届いています。季節はうつり、わが家の庭でいちばん早く紅葉するカマツカの木の葉が一枚、今朝きれいな赤い色に染まっていました。

 前回のコラムで、「(わたしたちは) 急に病気になったり、家族を失ったり、人は弱かったり強かったり、変化する生き物です」と書いたのですが、この間わが家では、まさしくその状況になっていました……。

 すぐ近くに住む孫の一人が、真夜中に突然の高熱と嘔吐。急激な脱水症状になり、緊急入院してしまったのです。4歳とまだ幼く、昼夜を問わずの付き添いが必要になり、家族総出で看病にあたった1週間。さいわい回復し、つい先日、うちに帰ることができたのですが、乳飲み児をふくむ幼い子4人の大家族は、文字通り怒涛の日々でした。

 わたしは他所での慣れないリズムの中で過ごす毎日に、本のページをめくる余裕も集中力もなかったのですが、この直前に読み終えていた本がたいへんな名著でしたので、今回はその本を紹介したいと思います。

『急に具合が悪くなる』
  宮野真生子 磯野真穂 晶文社

 まるで予言のようなタイトルの本を読んでいたものだなあ、と驚くのですが、全くの偶然です。
 哲学者、宮野真生子は乳がんをわずらい、すでに多臓器転移をおこしていました。彼女は、「自分の身体にガンを飼っているということをいかに捉えるか」という問題に、人類学者、磯野真穂と手紙をかわす、という方法で答を出そうとこころみます。

 宮野と磯野は長年の友というわけではありませんでした。ほんの数か月前に、ある集まりで出会っただけ。それでも宮野は、手紙という対話の相手に磯野を選びました。そしてこの手紙の往復が進むうちに、宮野の状況は急激に悪化します。それとともに、ふたりの出会いはさらに深まり、別れに向かって急降下してゆきます。いえ、降下と書きましたが、昇華かもしれません。ふたりの対話は、病から死へ、そして生へとどんどん深まってゆくのでした。宮野はこう書いています。

「つねに不確定に時間が流れているなかで、誰かと出会ってしまうことの意味、そのおそろしさ、もちろん、そこから逃げることも出来る。なぜ、逃げないのか、そのなかで何を得てしまうのか、私と磯野さんは、折り合わせた細い糸をたぐるようにその出逢いの縁へとゆっくり (ときに急ぎ足で) 降りながら考えました。」

「出逢いの縁」。「えん」と読むのでしょう。人と人を結ぶふしぎな力としての、出逢いの縁。出会ってしまった意味とは。生きるとは。死とは。

 手紙の対話はまず、人がいかに病気と立ち向かっていくかという態度から語り合われます。
 病気に罹った患者がまず直面することは、治療の選択です。しかも、選択はつぎの選択を必須とし、つぎつぎと連続します。宮野は疲れ切り、思わず「帰りたいなあ」とつぶやきます。危機回避のための合理的な備えや努力のその先に、自分の素直な思いへと、魂の落ち着ける居場所へと、身をゆだねたいと望むのです。

 ふと立ち止まった時、宮野は、どうしてわたしがこんな病気にならなくてはいけなかったのか? どんな必然性がわたしをこの病気に出遭わさせたのか? と悩みます。そのことを宮野は哲学者、九鬼周造の『偶然生の問題』を引きながら考察するのです。結局のところ、必然などないのではないか。さまざまな出会いの偶然が重なり合って、わたしはここにいる、と。宮野は磯野にあててこう書いています。

「最後の最後で世界で生じることに身を委ねるしかない。それはどうなるかわからない世界を信じ、手を離してみる強さです (……)  病気で不安に駆られた私は、合理性で未来を予想し、そこで見失っていたもの、それは世界への信と偶然に生まれてくる『いま』に身を委ねる勇気なのだ……」

 対する磯野は、宮野の言葉を受け入れつつも、「宮野さんのがんが悪化するというのは、腑に落とすことがとても難しい現象です (……) 駅や路上で、傍若無人なことをやっている人を見たりすると、『宮野と代われ!』としばしば怒っている」と、実に正直に返事を書きます。そして偶然をテーマに哲学をつづけてきた宮野に対して、その哲学は、今の宮野の状況を捉えるのにどう役立っているのか、と問うのです。

 ずいぶん直裁な、とも思いますが、実はこうした磯野との対話が、宮野を生き生きとさせているのに、読者は次第に気づくでしょう。磯野の問いに出会って、宮野はまたその先へと思考をすすめることができました。宮野は書きます。

「私たちはそんなに唯々諾々と不運を受け入れて「腑に落とす」必要なんてあるでしょうか。(……) わからないことに怒り、それを問う力を、自分の人生を取り返す強さを、哲学は私に与えてくれたのです。」

 宮野は磯野に背中を押されるように、迫り来る死について考えはじめます。それは磯野がこう言ったからです。宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃない、と。
 宮野は書きます。

「私は今、『うん、わかった』と約束したいと思います。これからもっと病状は悪くなるかもしれないけれど。それは単純に『死なない』ことの約束じゃない。磯野さんが希望し、私も見たいと望む未来に対する賭けであり、そこに向かって冒険の道をくじけずに歩んでゆくということの覚悟であり、なによりもそんな言葉をかけてくれた磯野さんと私の今の関係への信頼なのです。」
「そして、最後に残った未完結な私の生を誰かが引き継いでくれれば嬉しいな」

 その誰かの、いちばん近い未来のひとりが磯野でした。磯野との出会いで、宮野は死の直前で、自らの言葉を見つけ、自らと出会い直しました。それは磯野も同じだったでしょう。ふたりにとって、死はすべてを奪っていくものではなく、むしろ未来へとつなぐ贈り物のようなものだったと、わたしは思いたいのです。

写真・文/ 中務秀子

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