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デコさんからの便り

2021.10.10 更新

 なんだかあたたかい……暑い? 秋ですね。2週間前にはじまったかに見えた紅葉は、いったんとまって、昼間はまだ強い日差しが降りそそいでいます。ただふいに、風に乗って金木犀の香りが漂ってきたり、公園には、たくさんの銀杏の実が落ちていたりします。季節はやはり立ち止まらずに、なお先へと歩みをすすめているのですね。
 さてわたしはそんなお天気をながめつつ、ぼちぼちと、冬野菜の種まきをはじめました。蕪、ミニにんじん、小松菜……。蕪はもう、2ミリほどのかわいらしい二葉をいっぱい地表にのぞかせて、つまんで食べてみましたら、濃く香り高い味わいがしました。

 先日、気象学の真鍋淑郎先生のノーベル物理学賞受賞のニュースに接しました。真鍋先生は、気候変動予測の研究者です。早くも60年代から、大気中の二酸化炭素量が地球環境に及ぼす影響を指摘、のちには大気と海洋を結びつけた研究にもすすみ、その予測値は非常に正確だったことが、現在証明されています。またこの8月の、IPCCによる「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」という発表にも、深くかかわられました。

 小さな庭やプランター菜園、堆肥づくりなどをしているわたしも、そんなささいなことからでさえ、地球環境にはいつも関心を寄せています。わたしの子どもの頃に比べると、気候は驚くほど変動しました。それは肌で感じる実感です。このまま続けば、子どもたちや孫たち、もっと先の世代に、いったいどんな厳しい環境が待っているのだろうかと、暗い気持ちになることもしばしばです。このままでいいわけはない、なんとかできないだろうか。そう思い悩み、頭をかかえる日々なのです。

 そんなとき、こんな本を読みました。

『僕たちはどう生きるか』(副題:言葉と思考のエコロジカルな転回)
 森田真生 集英社

 森田さんはもともと数学研究者ですが、計算の世界から大きく越境して、言葉と思考をめぐるより哲学的な思考を深めてきました。そして近年は、その思考は環境哲学へと歩をすすめ、より具体的な地平に立つようになりました。
 この本は、森田さんが2020年春のパンデミックがはじまったころに書きはじめた日記が元になっています。

 それまで各地を飛び回って活発な研究生活を送ってきた森田さん。緊急事態宣言によって家にとどまることを余儀なくされ、幼いお子さんと過ごす時間が増えました。そこで4歳の息子さんと、「おうちも、おにわも、ぜーんぶようちえん」プロジェクトをはじめます。
 子どもたちと遊び、学び、虫や植物を育てる暮らしのなかから、森田さんが耳を澄ませ、見て、感じ、考えたこと。それらが四季を通じてやさしい言葉でつづられ、わたしたちにいろいろな問いを投げかけてくるのです。
 
 小さく低い地平から語り出される言葉たちは、目の前のアリやミミズやプチトマトの世界からはじまり、数万年も過去にさかのぼったり、また遠い未来へと開かれていったりします。それは、太古、ウイルスがわたしたちの細胞の形成にかかわっていたことから、この数十年のうちにおよそ百万種の生物が絶滅する危機に瀕している現在に、そしてさらには人類が存在するかさえわからない未来へと、長いスパンで語られます。そうした非常に長い視点から、森田さんは、いまを捉えなおそうとこころみるのです。

 コロナ下、全世界の広い地域でロックダウンがおこなわれ、人間活動が停滞しました。その結果、水質や大気などの環境が大幅に改善され、魚がもどり、鳥たちが囀りだしました。このことは、すべてが人間中心に考えられてきたこの世界が、もはや間違っていたことを示しています。自分たちとは異なる存在、異なるスケールによって、意味を想像しなおすこと、そのたいせつさに気づかされたと、森田さんは語ります。

「人間の腸管には10兆から100兆ものバクテリアがいる。(……) 人体の約37兆個の細胞にはそれぞれ何百万ものミトコンドリアがいて、遠い過去に細胞の祖先と共生を始めた彼らが、いまもせっせと細胞にエネルギーを供給している。僕のからだのなかには、無数の僕でないものたちがいる。その力を借りて初めて、僕は僕であり続けることができる。」

 この世界では、あらゆる存在が網の目のようにつながりあい、まじりあっています。誰が上で、誰が下、という上下関係はどこにもありません。
 それがわかった以上、人間はこれまでのように、自然を支配しようとしたり、人間中心の進歩を推し進めたりすることはできません。コロナ禍や気候変動という事実の前に、それらがいかに脆いものであるかを知ってしまったのです。
 しかしそれはまた、人間が悪い、人間さえいなければいい、ということではありません。人間もまた、他の存在と同様、かけがえのないひとつひとつの存在として、網の目のなかでまじりあい、どのひとつが欠けてもこの世界はまったく別のものになってしまうのです。

「人間が、人間でないものたちと同じ地平に降り立つところから、新しい存在の喜びを見つけ出していくこと。そのための言葉と思考の根本的な編み変え」が必要だ、と森田さんは説いています。
 たとえば、校庭をジャングルに変え、子どもたちが多様なものたちと触れ合う機会をつくるのはどうだろう。また同時に、以下のような新しい思考と言葉から、「エコロジカルな転回」の種子を巻き続けていこう、とも。

「人間は(……)、あの葉と、あの草花たちと、あのミミズや微生物たちと同じ地平に降り立ち、生命が何十億年もかけて育んできた存在の喜びとはどういうものかを、もっと謙虚に、もっと真剣に、思い出してみてもいい。」

 いま、わたしたちは立ち止まっています。わたしたちは今なお、自然から多くのものを与えられ、まじりあい、祝福されて生きています。そのことを真摯に思い出しましょう。そして、病みつつある世界を前に、心を壊さず、喜びを思い出し、生き生きと生きようとすることを目指したいのです。
 そのような心とからだの指針となる、playful(遊戯的)で、 kindness にあふれたこの本を、どうぞ手に取ってみてください。

写真・文/ 中務秀子

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