スツール

ターバンの女のひとりごと

2021.10.10 更新

『今は無き不思議な自転車屋の話1』

今はもうないが、足繁く通っていた自転車屋があった。

そこで自転車を買ったものの、通う理由は自転車以外のことがほとんだ。

夜に店仕舞いすると、その店には方々から人が集ってくる。

店主に顔を見せると、開口一番「腹減ってるか?」がお決まりで、「安い、うまい、早い」のまかない飯をいただく。

店内に飾られている高そうな自転車や、店主の奥さんが描かれた巨大なフレスコ画を見つめながら、集まった人たちは自転車以外の話をしているし、「ここは一体どこなんだろう」とふと思ったりしながら。

一度お土産で鈴カステラを持参したことがあった。

はっきり言って安物の鈴カスだった。

店主はそれを口にした途端にフリーズし、真顔でこう言った。

「これは鈴カスじゃありませんよ。本物の鈴カス食べたことありますか?」

即座に首を横に振ると、店主は「ちょっとそこまで買いにいってくるから、待ってて」と言い残し、自転車に乗って商店街へ消えていった。

その間、わたしは自転車屋の店番をすることになったのだが。

しばらくしてから店主は戻ってきて、何やら老舗のお菓子屋さんの鈴カスを手渡してくれた。

明らかに見た目のふっくら具合も違うし、食べた時のパサパサ感もない。しっとりとし、上品な味わいである。

「確かに違いますね。おいしいです」と感想を述べると、店主は一服しながら「本物を知ることは大事ですよ」という名言を残した。

つづく

絵・文/ 岸岡洋子

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