前回はお休みしてしまって……。楽しみにしていたのにどうしました? と、親切に尋ねてくださった方もありました。すみません、咽頭炎になっていたのです。
前日まで準備をしていたのに書けなくて、1か月も間があいてしまうと、さてどうしようか……とぼんやりしてしまいますね。
その間に、季節はすっかり移り変わって、大きなイベントも終わり(わたしにはどこか別世界で行われていることのような気もしましたが)、秋の虫が鳴きはじめ、夕暮れは早くなり、朝夕すっかり涼しくなりました。気持ちのよいそよ風が吹いていたりすると、しばしばふっと、今は疫病の時代なのだ、ということを忘れてしまいます。この秋は、冬は、どんなふうになっていくのでしょう。
さて前置きはこのくらいにして(今日はずいぶんあっさりでしょう?)、前回書けなかった本をご紹介します。
『逃げおくれた伴走者』
(副題:分断された社会で人とつながる)
奥田知志 本の種出版
奥田知志さんは、北九州市の東八幡教会の牧師さんです。ここにはNPO法人「抱僕(ほうぼく)」という生活困窮者を支援する団体があり、奥田さんはその創設者であり、現役で活動もされています。主にホームレスの方たちの訪問、見守り、自立支援が活動の中心で、最近では行き場のない子どもたちや、ひとり親支援もされているようです。
ホームレス……というと、ふつうの人たちには関係のないことのように思えますよね。わたしもそうでした、この本を読むまでは。住む家がないまでに困窮してしまうなんて、ものすごい事情があったのだろうなあ、と。しかし、そうではないようなのです。
奥田さんは、家のない人をハウスレス、居場所のない人をホームレス、と呼びます。ホーム。そこはだれもが落ち着いて、自分自身でいられる居場所。そんな場を失っている人は、今たくさんいると。たとえばいじめ。家族内での不和。家族や友だちをなくす。それらはみな孤立です。
そういう人々がしばしばあびせられる言葉に、弱音を吐くな、わたしだってたいへんなんだ、自己責任だ……。この本を読むと、この冷たい言葉の先の先に、ホームレスの人々がいるように思えて、まったくの他人事ではない、という思いがしてくるのです。自己責任、わたしはこんなさみしい言葉はないと思います。それは、あなたのことを気づかっているひまなどない、という宣言だから。
奥田さんが取り上げられている事柄に、「生産性」の問題があります。近年、LGBTや障害をもつ人は生産性がない、という言説や事件が社会を騒がせました。役に立たない弱い人間はいらない、という考えです。
ここでいう生産性とは、仕事がはかどる、もうかる、という意味でしょう。しかし生産性の真の目的は、人がみな幸せになるということではないでしょうか。弱い人も強い人も、人がそれぞれ、その人その人の生を、生き生きと生きていられる、そういう世界が幸せな世の中なのではないか。はかどったり、もうかったりは、ただその手段にしかすぎません。
また、そもそも、強いとか弱いとか、ずっとそのまま固定されるものでしょうか? 事故にあったり、急に病気になったり、家族を失ったり、人は弱かったり強かったり、変化する生き物です。お互いさまと思いやりつつ補い合って、これまでずっと、人々は生き抜いてきたのではないでしょうか。今たまたま自分がいい状態にあるからといって、不幸せな人は見なければいい。そんな考えで築き上げられた世界は、なんと心貧しいものでしょう。
キリスト者である奥田さんは、パウロの「コリント人への第二の手紙」を引きながら、このように書いています。
「パウロには、何か障害があったようだ。目が悪かったという説もある。当時の宗教社会において「障害」は、神からの祝福から漏れている証拠だとされた。伝道者としては面目ない状態だ。だから彼は、「離れ去らせてください」と神に祈る。自分を苦しめる「障害という現実」から逃げ出したかったのだ。そんな彼に、「私の力は弱いところに完全にあらわれる」と神は語る。パウロは、その言葉に励まされ「喜んで自分の弱さを誇ろう」「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」と一歩踏み出す。」
弱い時こそ強くなるものはなんでしょう。それは他人を思いやる心です。つらさを知っているひとは強いのです。それは人としての豊かな経験と、やさしく想像する心があるからです。
その時もっともたいせつなものは、出会いだと、奥田さんは説いています。人は人と出会って、孤立から逃れて、ダメなことや傷を分け合い、お互いさまでなんとかやっていく。それぞれの人が、人が人として、役割を果たして行く。そういう大きなつながりの総体の中で、幸せは網の目のように紡がれていくのでしょう。
コラムや対談、教会での説教などを集めた、豊かな語りに満ちた読みやすい本です。どうぞ読んでください。おすすめします。
写真・文/ 中務秀子
2018年・第27期のフィルムカメラ教室の生徒さんとして、お付き合いが始まりました。今もフィルムカメラを続けてらして、二眼レフカメラにも挑戦中。デコさんは本好き、映画好き、芸術好き、お話好き。いわば “ 忙しいひまじん ” です。とても自由で全然気取ってない表現に親近感を覚えさせてくれる先輩です。そして心友になりました。
「鬼遊び」シリーズ 廣嶋玲子
春はわらべ歌、夏はお祭り、秋は指切りげんまんをして、冬はかまくら作り…。
鬼との遊びはおそろしい。
始めてしまうと戻れない….。
今回は怖い話の紹介です。
このシリーズは4巻あって、それぞれ春・夏・秋・冬の季節の遊びにまつわる話が8話ずつ入っています。
そしてどれも怖い!
私は怖い話が苦手で、小さいころはしょっちゅう一人でトイレに行けなくなったくらいなのに、
学校で怖い話をする係になってしまって、ちょっと後悔したくらいの怖がりです。
そんな私でも読めるので、とても怖い話ではなく、鬼から逃げきれたり、鬼が成仏してくれたりする話もあります。
けれど、1巻の「だるまさんが転んだ」、2巻の「盆踊り」、4巻の「かた雪わたり」はもうかなり怖くて…。
怖いですが、おとないちあきさんのきれいな絵もすてきで、おすすめです!
文・写真/ 木下琴子
2006年3月からのお付き合い。琴子ちゃんが生まれる前から撮影をさせて頂いてます。小学6年生になった今も記念日ごとには必ず、スタジオやお好きなロケ場所で撮影させて頂いてます。埼玉県からお越し下さいます。幼い頃から、本が好きと撮影のたびに僕に話してくれた琴子ちゃん。読みたい物語がまだまだ沢山あると思うと、これからが楽しみとも話してくれた。そんな琴子ちゃん目線の書評を毎月2回、依頼しています。
9月に入りましたね。小学校も幼稚園も2学期が始まりました。
今年の夏休み、我が家の子どもたちはほとんど南丹市から出ていません。ですが、十分に楽しんでいたように思います。
自宅が完成して伸び伸び遊べるようになったこと、そして、自宅から15分程度で行ける公園で川遊びを覚えたからです。実は水が苦手な子供たち。全く泳げません・・。私達は、あまりにも泳げないことに少しだけ不安を持っていたのですが、この夏は長男の同級生家族に誘ってもらい初めて川に行きました。
そして、ハマりました。相当楽しかった様です。雨の日以外は、毎週川遊びに行くようになりました。おかげで子供もバタ足が出来るようになりました。
山間にある川ですのでヘビやカエル、カニ、魚も近くにいるし、山の緑も、空の青さもすべてが清々しい。自然の中に身を置くだけで、心も体もこんなに軽くなるんやな~と、改めて感じました。子供の成長も見れたし、とても楽しい夏休みでした。
さて、「奇跡の95歳」。
Sukkuで働いていると、毎日楽しいこと嬉しいことが起こります。
その中でも特別嬉しいことと、驚いたことがありましたので紹介します。
何度かこのコラムで紹介したことがある女性、95歳の春江さん(仮名)です。
春江さん、自宅での転倒が増えてきていました。転倒の理由はよく分かりません。心疾患があるので、急に意識が飛んでの転倒も何度かありました。今年の3月、自宅で転倒して腰を強打し、骨折。そのまま本人の強い希望で入院となりました。
3か月の入院中は、リハビリを一生懸命されました。退院したら、またSukkuに行くんや!を合言葉に、それは頑張っておられました。
しかし、お年寄りが3か月も入院すると、リハビリを頑張っていてもどうしても色々な能力が落ちます。春江さんもそうでした。
6月初旬に退院され、今後について話し合いをしたのですが、3か月振りに見た春江さんは、想像以上に弱っていました。ベッドから起きることも、介助が必要でした。そして、とても痩せていました。
この状態ではSukkuでトレーニングどころではなく、自宅から出ることも難しい状態。正直私の心の中では、もう春江さんがSukkuに来ることは難しいと思いました。
しかし、春江さんは私に会って一言目にこう言われました。「先生、お家はできましたか?」
私はそれを聞いて絶句しました。確かに、春江さんは自宅をリノベーション工事していることを知っていましたし、工事現場も見ておられました。しかし、3か月の入院中コロナ禍で家族とも会えず、こんなに痩せて歩くことも出来なくなっているのに、久しぶりに会った私への一言目がこれです。春江さん95歳です。凄すぎてしばらく言葉が出ませんでした。
しかし、今のままでは自宅から出ることも出来ないので、Sukkuは7月からにしましょうと、娘さんとも話し合って決まりました。しばらくは、訪問リハビリや1日型のデイサービスへ週2回通うことになりました。
私はその間、週1回娘さんに連絡し春江さんの調子を聞いていました。そして、予定の7月になり、sukkuを利用できそうか確認したところ、1日型のデイサービスに行っても寝てばっかりとのことで、7月中の利用は難しくなりました。
8月に入り少し元気になったと聞きましたが、Sukkuにはまだいける状態ではないとのこと。それどころか、娘さんからは「これ以上待ってもらうと迷惑かかるから、もうSukkuさんやめようか・・」との声もありました。しかし、私もスタッフも、他の利用者さんも春江さんに会いたかったので、「8月中は待ちます!」と伝えました。
8月に入り、1週目も2週目も来れませんでした。もう無理かな・・と思った3週目の朝に電話があり、「本人行くって言うてます。」と娘さん。私もびっくりしました。そして、はやる気持ちを抑えながら、自宅に迎えに行きました。すると、車いすに座っている春江さんを発見!久しぶりに会った春江さんは姿勢を正し「おはようございます!」と大きな声であいさつ。その声を聞いた私はうれしくて・・。
予定より早くSukkuに着いたので、完成した自宅を見ていただきました。とても、喜んでくれました。そして、他の利用者さんも到着して、感動の再開!!そこでも驚かされることが。なんと皆さんのお顔を一人ずつ見ながら、その方々の名前を言って挨拶をされたのです。もうみんな、びっくりするしかありませんでした。そして、「こうやってSukkuに帰ってこられる日がやって来るなんて、本当に夢みたいです!皆さんの顔を見たら、久しぶりに実家に帰ってきたような気持ちになりました。」と。
さぁ、車いすで移動しながらのトレーニングが始まりました。久しぶりだから、さすがの春江さんも少ししかトレーニング出来ないだろうと思っていましたが・・春江さんはなんと、全部やってしまいました。そして、私に「車いすは嫌いです!自分で歩きたいです!」と大きな声で言われました。何度もです。
そこで私は、杖を2本渡して歩いてもらうことにしました。もちろん、私が後ろに付いてです。( 私は、絶対に歩けないと思っていました )春江さんが立つところを手伝って、杖を渡して、さあ歩こう!
すると、2・3歩目でフラッとなり転倒しそうに。私が、支えて再度そのままトライ。そこからは私が手伝うことなく、足で手で必死に踏ん張って歩きました。その距離5メートル!それを見た、スタッフは泣きました。私も泣きました。
他の利用者さんからは自然と拍手がおこり、歓喜の声が。本人も「うわー歩けたー」と涙。
入院中、ベッドの上で天井を眺める日々。「もうこのまま死にたい」と何度も思ったそうです。さすがの春江さんも、この数か月は心が折れそうになった。と話してくれました。でもやっぱり、まだ諦めたらあかん。と自分に言い聞かせていたと。
「今まで自分の限界を、自分で決めていました。情けないです。可能性は誰にでも、いくつになってもあるのですね。」パラリンピックを見て、感じたことだそうです。初めて自分の足で歩けなくなり、そんな中で見たパラリンピックは、今までとは景色が違ったそうです。
「人生、死ぬまで勉強ですわ。」これ、春江さんの口癖です。
私はこんな95歳を見たことがありません。いや、6月に誕生日を迎えたので96歳か。
杖で歩けたあの日から、春江さん休むことなく来られています。最近では車いすをやめて、スタッフが手を引いて歩いて移動できるようになりました。
春江さん。私達は今一緒の時間を過ごせてとても幸せです。(おしまい)
次回コラム「爆笑!小ネタ集」です。
写真・文/ 川瀬啓介・未央
Sukku 川瀬啓介 / 未央 (理学療法士・鍼灸師 / 鍼灸師)
〒622-0002 京都府南丹市園部町美園町4-16-38
TEL 0771-62-0005
2017年から京都の南丹市でリハビリを中心としたデイサービスをしています。利用者さんと過ごす時間は、笑い声と涙が入り混じる賑やかな毎日です。そんなささやかな日常、会話から気付かされること、そして個性派揃いのスタッフについて…色々な事を綴っています。
2011年11月からのお付き合い。楓くん・緑くんが生まれる前から撮影をさせて頂いていて、今も1年に1回は必ずスタジオ撮影にお越し下さいます。Sukkuというデイサービスの屋号は、佳代が名付けさせて頂きました。飾らない温かさ、自分の好きが明快で、歯切れがよい。けれど、流れる時間はゆっくり。そんなお二人の人柄が大好きで、バランスを崩した時には体を診てもらおうと決めているから安心です。笑いと涙のデイサービスの日々を毎月2回、綴ってもらってます。
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コシアカツバメは、田んぼなどで見ることができるツバメの仲間です。
ツバメ(NO,26)より少し大きく、尾羽が長く見えます。
他のツバメと違って飛ぶときは※滑翔を多く行います。
群れで生活し、空中で昆虫類を食べます。
「チュジュジュジュ」などとさえずります。
飛びながら「ジュリ」と鳴くこともあります。
飛びまわっている姿を見ることが多いけど、
夕方などに電線にとまっている姿を見ることもあります。
電線にとまっていたら飛んでいる時は、はっきり見えないおなかのもようなどを見てみてほしいです。
おもしろいと思ったことは、同じツバメ科でも巣の形が違うことです。
なぜならツバメはおわん形のような形だけど、コシアカツバメはふくろのような形(絵を参照)だからです。
しかも、ツバメの巣をスズメが使うこともあります。
ここでクイズです。
コシアカツバメはつばさを広げると何cmになるでしょう。
1. 22cm
2. 30cm
3. 32cm
4. 34cm
5. 36cm
6. 38cm
正解は次の鳥図かんで発表します。
最後に前回のクイズの答えを発表します。
正解は、
3.のカワウでした。
※滑翔
羽ばたかずに飛ぶこと
コシアカツバメはの場合
羽ばたき→滑翔→羽ばたき
絵・文/ 中野響
お姉ちゃんとひーくんが生まれる前の、2005年10月から撮影をさせて頂いてます。今も2~3年に1回は必ず、スタジオや城陽のご自宅で撮ってます。小学6年生になったひーくんは、この前の撮影の時に鳥に魅せられていると話してくれた。それが小学生レベルの鳥好きの話ではなく、僕からすればもう学者レベル。しかも視点がユーモラスなのでこれはスゴイ!是非、図鑑を作ろうと盛り上がり、WEBという形で毎月2回、発表してもらっています。
ラグビーというものをはっきり認識したのが、夫が夜な夜な酒のつまみに、神戸製鋼で活躍した平尾誠二さんの特集番組を何度も見ていたことだった。
申し訳ないが、わたしには平尾さんはクイーンのフレディ・マーキュリーにしか見えなかった。
ロックスター・フレディ・マーキュリーが楕円球を追いかけている風にしか見えない。
そのあと、度々公園にて夫とランパスなるものの練習に「付き合わされた」時も、球を受け取ることで精一杯、欽ちゃん走りになるしかない。
これの何が面白いんだ!と一人憤慨した。
しかしその数年後に聖地花園で高校ラグビー全国大会の準々決勝を観戦し、目の前で高校生たちが体を張って倒れてはまた起き上がり、楕円急を追いかけてる姿を見て、夫を差し置いて、
「いけーーー!」と拳を振り上げ、大絶叫していたのである。我を失うとはこういうことなのだと思った。それくらい、高校生たちの懸命さに胸を熱くした。
息子が小学1年生の 秋、ラグビースクールに入会した。
二年生の春、夫がスクールのコーチになった。
以降家族総出でのラグビー漬けの毎日である。
身体と身体のコンタクトが多いラグビーは、その分やっている子供達も、見守っている保護者たちも前のめりになる。
暑さの中、バタバタと倒れることもしょっちゅうで、その度にうちわと氷とポカリを持って走る大人たち。
自分の子供以外も、みんなの子供みたいになってくる。
その積み重ねで、楕円球を持って参加してなくても、保護者たちは声を出して子供を応援する。
ゲームでトライが決まると、子供以上に喜んでいるのは保護者たちだ。スクールの保護者はラグビーを愛してる人たちが非常に多い。
日常でこんなに人々が熱狂する瞬間ってあるのだろうかと思う。
気がつくと、息子は美しいスクリューボールを投げられるようになっていた。
こんなに小さな手で。
そして熱心にわたしに教えてくれるのである。
「あんな、お母さん、こうすんねん。腕のスナップを、きかすねん」
なんども教わっても、一向にスクリューボールは上達しないが、平尾さんがフレディ・マーキューリーに見えていた頃よりかは、ラグビーを何倍何倍も好きになっている。
絵・文/ 岸岡洋子
23期スツールフィルムカメラスクール(S.F.C.S)の生徒さん。5回の教室の間ずっと、ターバンを巻いてくる岸岡さんを見ていて、この人いかしてるなぁ。ハッハーン、きっとただ者ではないんだろう。アラブ方面のどこかで長ーく暮らしていて、きっと身についた風習なんだ、だからなんだ!と、身勝手に納得感を得ようと在り来たりな空想をしていたのをよく憶えている。