スツール

お客さんのコラム9/25版

2021.09.25 更新

単調な作業が苦手である。淡々とすればするほど、注意力散漫となり、とっちらかってしまう。

しかし人生には、苦手でもしなくてはいけないことが度々訪れるもので、そういう時は脳内に『プロフェッショナル仕事の流儀』もしくは『情熱大陸』のテーマソングを爆音で流す。

わたしの頭は単純なのか、そのテーマソングをかけるだけで「その道のプロ」もしくは「町工場から日本を背負って立つ」ような気分になり、次第にノッてくるのである。

例えば梅ジャムを面倒くさいけど作ってみるか、とふと思い立ち、いざやり始めると非常な地味な作業に、一瞬空を見上げるも、脳内にテーマソングを響き渡らせると、俄然手が早まり「この小さな梅ジャム工場から、真心込めて日本中にお届けします」という気分になるのだ。

勝手にプロ意識を持つ作戦である。

去年から息子の体力作りの一つで、夜に夫と息子二人で3キロランニングを走ることが日課になった。

しかし夫が不在の日は、わたしが自転車で並走して走らなければいけない。

頑張るのは息子だし、自分は自転車に乗って楽なのだが、「がんばれー」と応援しながら淡々と走るのは修行みたいで面白くない。

そこであの作戦を投入してみたのである。

「校内マラソン大会」を想定して、息子を選手に見立て、横で実況中継を始める。

たまに「左手に見えてきたのは、岸岡選手がよくお母さんからおつかいを頼まれて買いに来る、野菜販売所です」などとミニ情報を入れながら。

最初実況を無視し無言だった息子も、次第に「今、三位」とか「一人抜いて二位になった」などと自分で実況を入れ始めた。

沿道から声援を送ると、息子はクールに手を振る。これはかなりノッてきている。

ラストランはまさに彼の中で『情熱大陸』のテーマソングが鳴り響いいてるかのような走りであった。

このお遊び実況中継は以外にも功を奏して、いつも「走りにいくよー」と声かけると腰が重かった息子も、「今日は世界大会や」と乗り気になっている。

なんなら「今日はジャマイカと対戦や」と、国単位の試合になり、日本を背負って走ってさえいるのだ。

お遊びがいつまで続くのかわからないが、今のところ二人ともすこぶる楽しいのでよしとしている。

絵・文/ 岸岡洋子

23期スツールフィルムカメラスクール(S.F.C.S)の生徒さん。5回の教室の間ずっと、ターバンを巻いてくる岸岡さんを見ていて、この人いかしてるなぁ。ハッハーン、きっとただ者ではないんだろう。アラブ方面のどこかで長ーく暮らしていて、きっと身についた風習なんだ、だからなんだ!と、身勝手に納得感を得ようと在り来たりな空想をしていたのをよく憶えている。


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サンショウクイは、林や山で観察できる野鳥です。

夏に日本に渡って来る夏鳥で、ふだんは4~10羽ぐらいの群れで生活しています。

メスはオス(絵)よりも灰色っぽい感じをしています。

「ヒリリリ」と鳴きながら飛んでいることが多いので、飛んでいても何の鳥か分かりやすいです。

まめちしきに書いた通り高い木(枝)にとまることが多いので、巣も高い場所につくります。

巣は枝ではなく、こけなどを使います。

メスが卵を温めている間はオスが虫を捕ってきて、メスにあげます。

サンショウクイは漢字では「山椒食さんしょうくい」と書くけど、

本当に山椒の実を食べるわけではなく「山椒の実を食ってヒリヒリ言っているよう」なので山椒食と名付けられました。

ぼくがおどろいたことは、サンショウクイはとても虫を捕らえるのが上手でクモの巣にいるクモまで捕ってしまうことです。

他にも空中で虫を捕まえることもあります。

ここでクイズです。

サンショウクイの巣をねらっている天敵が近づいて来ると親鳥はどんな行動をとるでしょう。

1. 仲間を集めてみんなでおいはらう

2. けがしたふりをして天敵の気を引く

3. 巣ごとくわえて天敵からにげる

4. つばさを広げて巣におおいかぶさってかくす

正解は次の鳥図鑑で発表します。

最後に前回のクイズの答えを発表します。

正解は、3.の32cmでした。

絵・文/ 中野響

お姉ちゃんとひーくんが生まれる前の、2005年10月から撮影をさせて頂いてます。今も2~3年に1回は必ず、スタジオや城陽のご自宅で撮ってます。小学6年生になったひーくんは、この前の撮影の時に鳥に魅せられていると話してくれた。それが小学生レベルの鳥好きの話ではなく、僕からすればもう学者レベル。しかも視点がユーモラスなのでこれはスゴイ!是非、図鑑を作ろうと盛り上がり、WEBという形で毎月2回、発表してもらっています。


『鹿の王 上生き残った者 下還って行く者』 上橋菜穂子

強大な東乎瑠帝国に呑まれていったアカファ王国の西の端で、抵抗を続けた戦士団<独角>の頭であったヴァンは、奴隷として岩塩鉱に囚われていた。

ある日、岩塩鉱を襲ったの群れに噛まれた者が謎の病を発症する。

逃亡したヴァンは生き残った幼子を拾い、ユナと名付け育てるが —— 。

一方、その病を追いはじめた天才医師・ホッサルは、恐ろしい病の正体に気がつき——。

今回は、私の尊敬する作家さんの一人、上橋菜穂子さんの本です!

疫病の流行する世界。

抗体を持つ限られた人々と、広まるのを防ぐべく奔走する医師 —— 。

コロナ禍の現在と、重なるものがあると思いませんか?

今だからこそ、感じられることも考えられることも多い本だと思います。

張り巡らされた思惑、人々の考えや思い。

何のために医師は医療を行うのか。

どうして、人は生きるのか。

久しぶりに読み返し、鮮烈な驚きを味わいました。

様々なことを考えさせてくれる本です。

読んでみてくださいね!

文・写真/ 木下琴子

2006年3月からのお付き合い。琴子ちゃんが生まれる前から撮影をさせて頂いてます。小学6年生になった今も記念日ごとには必ず、スタジオやお好きなロケ場所で撮影させて頂いてます。埼玉県からお越し下さいます。幼い頃から、本が好きと撮影のたびに僕に話してくれた琴子ちゃん。読みたい物語がまだまだ沢山あると思うと、これからが楽しみとも話してくれた。そんな琴子ちゃん目線の書評を毎月2回、依頼しています。


夏が終わり、秋に入りました。
南丹市も稲刈りが終わりました。今年は夏の雨の影響のためか若干不作らしいです。
私たちも畑の草引きや肥料やりなどを手伝い、改めて畑の大変さに気づきました。
これを毎日しているお年寄りってスゴイなぁっていつも思います。

今回は、ここ数か月たまっていた小ネタを紹介したいと思います。

①杖の高さ違いすぎるやろ!

すごく背の低い杉田さん(仮名)の隣には、すごく背の高い西村さん(仮名)がいつも座っています。二人とも杖を使って移動されます。そして、杉田さんは少しおっちょこちょいです。
杉田さんが、杖を持って歩きだしました。少し歩いたところで、スタッフが異変に気付きました。杖が高すぎたのです。それ、西村さんの杖!
杉田さんが西村さんの杖を持つと、杉田さんの頭ぐらいまで来ます。
杖違うよ!と指摘すると、なぜか巻き戻しのように後ろ歩きをして席に戻ろうとします。
危ないし!杖持った時に気付くでしょ!

②スリッポンどっちやったかなぁ

少し物忘れのある男性の小田さん(仮名)と、90歳の男性の湯本さん(仮名)。同じ曜日のご利用者さんです。小田さんは腰が悪くかがむことが出来ないため、立ったまますっと履けるスリッポンを履いています。湯本さんは畑仕事を毎日しているので、すぐに脱ぎ履きできるスリッポンを履いています。同じスリッポンでも柄が違うため、私たちはどちらが誰のものか把握しています。
しかし玄関に靴を並べておくと、小田さんはソワソワします。なぜか?スリッポンが2足・・どちらが自分の靴か分からなくなるからです。
決まって「俺の靴どっちやったっけ??」となります。
小田さんの靴はこっちですよ~。と伝えると安心します。
数分後にまた、「俺の靴どっちやったっけ??」と聞かれます。
私たちは初めて聞いたように、小田さんのはこっちですよ~。と答えます。それが、毎回帰る前の定番です。
ですがたまに、二足並んでいるスリッポンを見て、これはおれの違うな。こっちがおれのやな。と言って自然に履いて帰られます。
それを見て私たちは拍子抜けします。今日は憶えてるんかい!

③携帯電話だれもでんわ

Sukku利用者さんの9割は、ご自身の携帯電話を持っています。
数か月前、利用者さんでコロナの濃厚接触者が出ました。PCR検査の結果が判明するまで、急遽全面休止とさせて頂いた時の話しです。休止の事を伝えるために、ご利用者さんの携帯電話に電話をしたのですが、8名に電話してつながったのは2名です。折り返し電話は1件。5件は繋がりません・・。結局ご自宅まで行って事情を説明。携帯電話に電話したんだけど・・・と話すと。普段携帯電話の電源を消していて、自分から電話するときだけ電源入れる方1名。完全に音を消している方2名。埃だらけの携帯の方1名。使い方が分からないから出られない方1名。
みんな、緊急時どないするんでしょうか・・・

④こけるときは身を任してこける

畑が大好きな女性、田村(仮名)さん
80歳後半ですが、とにかく畑です。毎日畑していないと駄目な方です。肥料などは重くて運べないものは、90歳の夫が運んでいます。よく喧嘩もするけど、おしどり夫婦です。
田村さんは、足が悪いので、杖を2本持たないと歩けません。なのに、杖は立ってからどこにあるか探します。うまくバランスが取れているときは良いのですが、畑では長靴を履いているのでうまくバランスが取れず、こけることがよくあります。でも畑でこけるなんて、日常茶飯事です。
先日も畑をしている最中に、農協の若い職員さんが訪ねてこられました。
田村さん、その方と話しをしようと立ったのは良いですが、杖がありません。そして、そのまま、バランスを崩し職員さんはの前へ転倒!職員さんはびっくりして「大丈夫ですか!」と声をかけるも、本人は至って普通に笑っています。そして、「こけるときは身を任してこけるから大丈夫なんや。」と一言。職員さんは、ドッキリに引っかかったような顔をしてたとか・・・。「抵抗したら、骨折れる」らしいです。。

⑤注文の多いトレーニングジム

毎週土曜日の午前中は、トレーニングジムとして一般の方に開放しています。
その日は女性のお客さんばかり。最初は知らないもの同士ですが徐々に仲良くなり、今ではみんなで話しをしながら楽しく運動されています。
つい最近、そのうちのお一人が、料理で有名な旅館が期間限定でお弁当を半額で提供している!と言う話題を持ってきました。早速その場で2名が注文。Sukkuに宅配してもらいました。他の人はお弁当の中身を見せてもらい、とても美味しそうだったのを確認。私も次頼む!と次々に言いだしました。結局、次の週はお弁当の注文が30個になりました。配達後は素早く手分けして、各自3、4個の2段弁当を持って帰りました。
みんな、運動で消費したカロリー以上に食べてるやん!

⑥マスクのお返し

83歳男性の滝本(仮名)さんは、ある日マスクを忘れました。そこで、Sukkuからマスクを渡しました。そして、次の利用日に「マスクをお返しします」と、袋を渡されました。スタッフが確認すると、袋に入ったキッチンペーパーでした・・・。
滝本さん、台所で使わせてもらいます。(おしまい)

次回コラム「復帰してくれてありがとう!」です。

写真・文/ 川瀬啓介・未央

Sukku 川瀬啓介 / 未央 (理学療法士・鍼灸師 / 鍼灸師)
〒622-0002 京都府南丹市園部町美園町4-16-38

TEL 0771-62-0005

2017年から京都の南丹市でリハビリを中心としたデイサービスをしています。利用者さんと過ごす時間は、笑い声と涙が入り混じる賑やかな毎日です。そんなささやかな日常、会話から気付かされること、そして個性派揃いのスタッフについて…色々な事を綴っています。

2011年11月からのお付き合い。楓くん・緑くんが生まれる前から撮影をさせて頂いていて、今も1年に1回は必ずスタジオ撮影にお越し下さいます。Sukkuというデイサービスの屋号は、佳代が名付けさせて頂きました。飾らない温かさ、自分の好きが明快で、歯切れがよい。けれど、流れる時間はゆっくり。そんなお二人の人柄が大好きで、バランスを崩した時には体を診てもらおうと決めているから安心です。笑いと涙のデイサービスの日々を毎月2回、綴ってもらってます。


 南の窓から入ってくる光が、いつの間にか、部屋の中まで届いています。季節はうつり、わが家の庭でいちばん早く紅葉するカマツカの木の葉が一枚、今朝きれいな赤い色に染まっていました。

 前回のコラムで、「(わたしたちは) 急に病気になったり、家族を失ったり、人は弱かったり強かったり、変化する生き物です」と書いたのですが、この間わが家では、まさしくその状況になっていました……。

 すぐ近くに住む孫の一人が、真夜中に突然の高熱と嘔吐。急激な脱水症状になり、緊急入院してしまったのです。4歳とまだ幼く、昼夜を問わずの付き添いが必要になり、家族総出で看病にあたった1週間。さいわい回復し、つい先日、うちに帰ることができたのですが、乳飲み児をふくむ幼い子4人の大家族は、文字通り怒涛の日々でした。

 わたしは他所での慣れないリズムの中で過ごす毎日に、本のページをめくる余裕も集中力もなかったのですが、この直前に読み終えていた本がたいへんな名著でしたので、今回はその本を紹介したいと思います。

『急に具合が悪くなる』
  宮野真生子 磯野真穂 晶文社

 まるで予言のようなタイトルの本を読んでいたものだなあ、と驚くのですが、全くの偶然です。
 哲学者、宮野真生子は乳がんをわずらい、すでに多臓器転移をおこしていました。彼女は、「自分の身体にガンを飼っているということをいかに捉えるか」という問題に、人類学者、磯野真穂と手紙をかわす、という方法で答を出そうとこころみます。

 宮野と磯野は長年の友というわけではありませんでした。ほんの数か月前に、ある集まりで出会っただけ。それでも宮野は、手紙という対話の相手に磯野を選びました。そしてこの手紙の往復が進むうちに、宮野の状況は急激に悪化します。それとともに、ふたりの出会いはさらに深まり、別れに向かって急降下してゆきます。いえ、降下と書きましたが、昇華かもしれません。ふたりの対話は、病から死へ、そして生へとどんどん深まってゆくのでした。宮野はこう書いています。

「つねに不確定に時間が流れているなかで、誰かと出会ってしまうことの意味、そのおそろしさ、もちろん、そこから逃げることも出来る。なぜ、逃げないのか、そのなかで何を得てしまうのか、私と磯野さんは、折り合わせた細い糸をたぐるようにその出逢いの縁へとゆっくり (ときに急ぎ足で) 降りながら考えました。」

「出逢いの縁」。「えん」と読むのでしょう。人と人を結ぶふしぎな力としての、出逢いの縁。出会ってしまった意味とは。生きるとは。死とは。

 手紙の対話はまず、人がいかに病気と立ち向かっていくかという態度から語り合われます。
 病気に罹った患者がまず直面することは、治療の選択です。しかも、選択はつぎの選択を必須とし、つぎつぎと連続します。宮野は疲れ切り、思わず「帰りたいなあ」とつぶやきます。危機回避のための合理的な備えや努力のその先に、自分の素直な思いへと、魂の落ち着ける居場所へと、身をゆだねたいと望むのです。

 ふと立ち止まった時、宮野は、どうしてわたしがこんな病気にならなくてはいけなかったのか? どんな必然性がわたしをこの病気に出遭わさせたのか? と悩みます。そのことを宮野は哲学者、九鬼周造の『偶然生の問題』を引きながら考察するのです。結局のところ、必然などないのではないか。さまざまな出会いの偶然が重なり合って、わたしはここにいる、と。宮野は磯野にあててこう書いています。

「最後の最後で世界で生じることに身を委ねるしかない。それはどうなるかわからない世界を信じ、手を離してみる強さです (……)  病気で不安に駆られた私は、合理性で未来を予想し、そこで見失っていたもの、それは世界への信と偶然に生まれてくる『いま』に身を委ねる勇気なのだ……」

 対する磯野は、宮野の言葉を受け入れつつも、「宮野さんのがんが悪化するというのは、腑に落とすことがとても難しい現象です (……) 駅や路上で、傍若無人なことをやっている人を見たりすると、『宮野と代われ!』としばしば怒っている」と、実に正直に返事を書きます。そして偶然をテーマに哲学をつづけてきた宮野に対して、その哲学は、今の宮野の状況を捉えるのにどう役立っているのか、と問うのです。

 ずいぶん直裁な、とも思いますが、実はこうした磯野との対話が、宮野を生き生きとさせているのに、読者は次第に気づくでしょう。磯野の問いに出会って、宮野はまたその先へと思考をすすめることができました。宮野は書きます。

「私たちはそんなに唯々諾々と不運を受け入れて「腑に落とす」必要なんてあるでしょうか。(……) わからないことに怒り、それを問う力を、自分の人生を取り返す強さを、哲学は私に与えてくれたのです。」

 宮野は磯野に背中を押されるように、迫り来る死について考えはじめます。それは磯野がこう言ったからです。宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃない、と。
 宮野は書きます。

「私は今、『うん、わかった』と約束したいと思います。これからもっと病状は悪くなるかもしれないけれど。それは単純に『死なない』ことの約束じゃない。磯野さんが希望し、私も見たいと望む未来に対する賭けであり、そこに向かって冒険の道をくじけずに歩んでゆくということの覚悟であり、なによりもそんな言葉をかけてくれた磯野さんと私の今の関係への信頼なのです。」
「そして、最後に残った未完結な私の生を誰かが引き継いでくれれば嬉しいな」

 その誰かの、いちばん近い未来のひとりが磯野でした。磯野との出会いで、宮野は死の直前で、自らの言葉を見つけ、自らと出会い直しました。それは磯野も同じだったでしょう。ふたりにとって、死はすべてを奪っていくものではなく、むしろ未来へとつなぐ贈り物のようなものだったと、わたしは思いたいのです。

写真・文/ 中務秀子

2018年・第27期のフィルムカメラ教室の生徒さんとして、お付き合いが始まりました。今もフィルムカメラを続けてらして、二眼レフカメラにも挑戦中。デコさんは本好き、映画好き、芸術好き、お話好き。いわば “ 忙しいひまじん ” です。とても自由で全然気取ってない表現に親近感を覚えさせてくれる先輩です。そして心友になりました。

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