スツール

お客さんのコラム8/25版

2021.08.25 更新

今号はお休みです。


8月某日

ちょっとお茶しに行こうと、1年ぶりに某喫茶店に入った時のこと。

そこは老夫婦で切り盛りし、なぜか二人一緒にカウンターに立つことはない。いつも日替わりのように今日はおばあさん、今日はおじいさんという風に。

その日はおばあさんが立っていた。

席に着くとテーブルの真ん中に、透明の仕切りが置かれており(1年前はなかった)、家族だけなので早々に隅に寄せて、メニューを見だした。

すると、すごい勢いでおばあさんが席まで来て(突進に近い)、

「このボードは、ぜったいに、ここに置いといてくださいっ」と激しい剣幕。緊張感が半端ない。

「いや、、家族なので・・」と、言うも、おばあさんは「そういう決まりなので、元に戻してくださいっ」の一点張り。押し問答を続けても仕様がないので、静かにボードを元の位置に置き直す。

ほっと胸を撫で下ろすおばあさん。今日の八割方の仕事は終わったという安堵の表情で、カウンターに戻っていく。

一瞬夫と目を合わせ、その落ち着かない空気に「コーヒー飲んで早く出た方がよさそう」と合意したのだが、息子が注文したのはまさかの「カツカレー」

おばあさんのオーダー表に書く手が、軽く震えたのを見逃さなかった。

80代を超えたおばあさんが一人で注文を聞き、厨房に立つのである。子どもというのは容赦がない。

しばらくして、じゃーっと威勢のいい、カツを揚げる音が店内に響き渡る。途中でドリップコーヒーも回し、その最中に一人客が入ってくる。

おばあさんの動きはより機敏になる。

満を持して、アツアツのカツが乗ったカレーが運ばれ、予想を上回るデカ盛りスタイルに、小学生の息子も一瞬ひるむ。

長居できる雰囲気じゃないと察しつつも、ふーふー言いながら「いやあ、カツカレーはおいしいねえ」とご満悦の息子を目の前にして、腰を据えて待つしかない。

置かれていた本を眺めると、やや思想強めのラインナップ。

本を読むでもなくぼんやりしてると、一旦落ち着いたおばあさんが、先ほどと打って変わった和やかな表情でこちらにやってきて、

「ぼっちゃん、カレー辛くない?この生クリームちょっとたらしてあげようか?食べやすくなるよ」と銀色の入れ物を差し出してきた。

息子は頷き、おばあさんはにこにこと笑って、生クリームをたらす。

「ゆっくり食べてね」

あの緊張感は一体どこへ行ったのか。

カツカレーを美味そうに食べる息子、おばあさんの手作りであろう毛糸で編まれたコースター、店内で流れる有線とは別に、カウンターで流されているAMラジオの話し声、途端に親戚の家に来たかのような空気に包まれ、私たちは途端にだらけた。

気づくと、サラダもカツカレーも気持ち良いくらいに綺麗に息子は平らげていた。

お会計を済ませ、やはり和やかに「ありがとうございました」と我々を見送ってくれたおばあさん。

緊張と緩和を体験した、 夏であった。

絵・文/ 岸岡洋子

23期スツールフィルムカメラスクール(S.F.C.S)の生徒さん。5回の教室の間ずっと、ターバンを巻いてくる岸岡さんを見ていて、この人いかしてるなぁ。ハッハーン、きっとただ者ではないんだろう。アラブ方面のどこかで長ーく暮らしていて、きっと身についた風習なんだ、だからなんだ!と、身勝手に納得感を得ようと在り来たりな空想をしていたのをよく憶えている。


『はこちゃん』 かんのゆうこ・文  江頭路子・絵

放課後に、はこちゃんたちは校庭で遊んでいました。

みくちゃんやかのんちゃんが自分の名前の意味を知っているのに、はこちゃんはわかりません。

しかも、陽太くんに名前をからかわれて、校庭を飛び出していってしまいます。

久しぶりの絵本の紹介です。

自分の名前の由来についてのお話です。

私の「琴子」という名前も、同学年に「子」がつく子がいないので「もっと華やかな名前がよかった……」と思うことがあったのですが、

今はむしろ書きやすいし(習字でもつぶれない!)すてきな名前だと思うようになりました。

自分の名前って、愛着を持てた方が、嫌いよりもずっといいですよね。

江頭さんの美しい水彩画もすてきな絵本です。

夏休みの読書感想文にもいいですよ!(おそくなりましたが)

ぜひ手にとってみてくださいね。

文・写真/ 木下琴子

2006年3月からのお付き合い。琴子ちゃんが生まれる前から撮影をさせて頂いてます。小学6年生になった今も記念日ごとには必ず、スタジオやお好きなロケ場所で撮影させて頂いてます。埼玉県からお越し下さいます。幼い頃から、本が好きと撮影のたびに僕に話してくれた琴子ちゃん。読みたい物語がまだまだ沢山あると思うと、これからが楽しみとも話してくれた。そんな琴子ちゃん目線の書評を毎月2回、依頼しています。


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オオバンは、水辺(川、池)で1年中見れる鳥です。

数が多い時だと50羽以上になることもあります。

他のカモと違って額板(がくいた)というくちばしから頭にかけてある、

羽毛のない白い部分があるのが特ちょうです。

もぐって水草や水生昆虫を捕ります。

「キョッキョッ」と高い声で鳴きます。

飛び立つ時は水面を走るように助走してから飛び立ちます。

オオバンに似ている「バン」という鳥はくちばしと額板が赤いので見分けられます。

おもしろいと思ったことは、若鳥と成鳥では額板の大きさが違うことです。

成鳥は大きくて、若鳥は小さいです。

見つけた時は大きさを比べてみてください。

ここでクイズです。

オオバンのように助走をしなければ飛べない水鳥はこの中のどれでしょう。

1. ハクセキレイ

2. カルガモ

3. カワウ

4. コサギなどのサギ類

5. カワセミ

最後に前回のクイズの答えを発表します。

正解は、

4. の10万羽でした。 

絵・文/ 中野響

お姉ちゃんとひーくんが生まれる前の、2005年10月から撮影をさせて頂いてます。今も2~3年に1回は必ず、スタジオや城陽のご自宅で撮ってます。小学6年生になったひーくんは、この前の撮影の時に鳥に魅せられていると話してくれた。それが小学生レベルの鳥好きの話ではなく、僕からすればもう学者レベル。しかも視点がユーモラスなのでこれはスゴイ!是非、図鑑を作ろうと盛り上がり、WEBという形で毎月2回、発表してもらっています。


コラム「偉大なる社長さん」


 スツールのコラムをご覧の皆さま、お元気ですか?猛暑日や大雨の日があり体調を整えることが難しいですね~。私たち川瀬家は、先日コロナワクチン接種を終えました。2回目は夫婦ともに、副反応の発熱と倦怠感でダウン・・。ダウンしたその日がスツールのコラムの締め切り日でした。とてもじゃないがパソコンの画面に向かってコラムを作れるような状態ではなかったので、無理を言って休載させていただきました。

今回のコラムは、男性で80歳代の元橋さん(仮名)です。
この方は、脳梗塞の影響で右半身の麻痺があり、右手と右足はほとんど動きません。失語症もあるので話すことができず、相手の話す内容も長文を理解することは難しい状態です。
元橋さん、病気になる前は実業家でした。
元橋さんは学校を出てすぐに、洋服屋さんに丁稚奉公されました。そこでの生活は苦しく、修行中であり丁稚奉公の中でも一番下っ端でした。まだまだ成長期の少年時代でしたのでいつも空腹でしたが、食事も十分にはない生活だったそう。その洋服屋さんには犬がいたのですが、その世話も元橋さんがしていました。犬の餌を作るのも元橋さんの仕事でしたが、あまりの空腹に毎食少しづつ犬のえさを自分の胃袋に入れていました。すると、犬が少しずつ痩せていき栄養失調状態になり、親方に大層怒られたそうです。
その後、仕立て屋として独立。当時としてはかなり珍しかった、低価格のオーダーメードスーツ屋さんも始められました。京都・兵庫で3店舗を出店します。そして、携帯電話の取り扱いもされるようになり、京都府下で3店舗出店。一番最近では、ソーラー事業も立ち上げられました。3つの事業とも今では当たり前にあるような事業ですが、当時は大変珍しいものばかりでした。
私が思うに元橋さんは先見の明があり、これからの世の中のことを常に考えていて、何が必要になってくるかを判断し、そしてそれを、凄まじい行動力でやりとげる力がある方なんだなと思っています。
事業だけでなく、町おこしのイベント等も色々と発案されていて、京丹波町で行われているマラソン大会や、園部町で月1回行われていた軽トラ市(軽トラがたくさん集まってイベントや販売を行う)もそうです。
今でこそ会社も大きくなり、従業員も60人以上いて大成功しているように思いますが、何度も辞めようと思ったことがあったそうです。特にスーツ屋さんは大変で、ある支店の売り上げが悪く銀行からの借金もかさみ、会社の重役会議で支店を閉めようと決まったそう。元橋さんは、これでゆっくりと眠れると思ったそうですが、翌日従業員総出で「社長もう一回頑張りましょう!」と言われたとか。優しい元橋さんはアカンとは言えなかったそうです。
元橋さんには3人の息子さんがおられます。お孫さんは5人おられます。
病気になる少し前、社長職を辞めて会長職になられました。社長は長男に譲られ、次男・三男が各事業の責任者をしておられます。そして、それぞれの事業が成長しています。これはやっぱり、元橋さんがすごかったのだと思います。
次男さんが私に言われたことがあります。「まだ、会社が小さかったころ、会社兼自宅で生活していて親父が仕事している姿を見ながら生活していました。だから子供たちは皆、父親の仕事を尊敬していたし、跡を継ぐことに迷いがなかったんだと思います。」と。

元橋さんは負けず嫌いでもありました。普段家では車いすで生活されていましたが、Sukkuでは杖を使ってゆっくりですが、歩いて移動していました。トレーニングに対しても積極的で、「元橋さん、そろそろ休憩しましょう!」と言わない限り、休まず頑張る方でした。周りの利用者さんも元橋さんを見て「あの人よく頑張らはるなー!私も負けんと頑張ろう!」とよく言っておられました。失語症の影響で話をすることはできないですが、頑張る姿で周りに影響を与える方で、その存在感はまさに、偉大な社長の姿でした。
そんな元橋さんも、昨年お亡くなりになりました。
お通夜に行かせていただきましが、息子さん3人が並んでいて参列者に挨拶をされていました。この時の光景を見て私は「3本の矢の教え」を思い出しました。
先に逝かれた奥さんと一緒に、天国から逞しい息子さんたちを見て安心されているだろうなぁと思いました。(おしまい)

次回コラム「96歳!奇跡の復活!!」

写真・文/ 川瀬啓介・未央

Sukku 川瀬啓介 / 未央 (理学療法士・鍼灸師 / 鍼灸師)
〒622-0002 京都府南丹市園部町美園町4-16-38

TEL 0771-62-0005

2017年から京都の南丹市でリハビリを中心としたデイサービスをしています。利用者さんと過ごす時間は、笑い声と涙が入り混じる賑やかな毎日です。そんなささやかな日常、会話から気付かされること、そして個性派揃いのスタッフについて…色々な事を綴っています。

2011年11月からのお付き合い。楓くん・緑くんが生まれる前から撮影をさせて頂いていて、今も1年に1回は必ずスタジオ撮影にお越し下さいます。Sukkuというデイサービスの屋号は、佳代が名付けさせて頂きました。飾らない温かさ、自分の好きが明快で、歯切れがよい。けれど、流れる時間はゆっくり。そんなお二人の人柄が大好きで、バランスを崩した時には体を診てもらおうと決めているから安心です。笑いと涙のデイサービスの日々を毎月2回、綴ってもらってます。

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