『メキシコのファミリア③』
メキシコからの来客を乗せた車は、無事に奈良へ到着。
まずは鹿を見にいこうではないかと、一行は奈良公園へ。
毎度ここへ来るたびに、鹿のアグレッシブさ、図太さに驚愕してしまうのは自分だけではないはずだ。
せんべいを持っていない人間に「あんたら、例のあれ、持ってまへんのか?」と様子を伺い、
せんべいをちらつかせた途端、奴らは目の色を変え、我が我ががと本能の赴くままに、突進してくる。
初めてここへ訪れた時、鹿と言えば「バンビちゃん」的なファンシーなものを想像していた。ところがどいつもこいつも、デカイし、なんかオラオラくるし、バイブスがヤンキーに近い。決死でせんべいを振る舞い、挙げ句の果てばらまいた思い出しかない。
古くから鹿は神の使いと言われ神聖な存在でもあるので、鹿の悪口をこれ以上書くとバチが当たりそうなので、このくらいでやめておく。
さてメキシコのファミリアである。鹿を目の前にし、楽しそうにせんべいをあげているではないか。
さすがメキシコ人。堂々とした落ち着きっぷりである。
案内しておきながら、遠巻きの草むらで様子を伺っている、気の小さいわたしとは大違いだ。
ナッシュは南米美女でもあるので、大きな鹿を目の前にしてもやけに様になる。
オスカルも大柄なので、鹿が小型犬くらいに見えてしまうのだ。
大したハプニングもなく、実にピースフルに鹿と触れ合い、一行はいよいよ東大寺へ向かう。
門をくぐってすぐに、数々の仏像、文化財が展示されている、仏像博物館がある。
お目当ては大仏さんだし、そんなたくさんの仏像に興味ないかなと、さらっとスルーつもりが、意外にも彼らは「ぜひ見てみたい!」と興味を示した。
まあ、さっくり見て終わるんだろうなと軽い気持ちで中へ入ると、一行は驚くことに、熱心に一体一体をじっくりと見始めたのだ。
大きく開眼して仏像に見入るメキシコのファミリアたち。
そして口々に、「ねえ、この仏像の手の向きにはどんな意味があるの?」「なぜこの仏像の手はないんだ?」「この表情にはどんな意味が?」「なぜ?」「なぜ?」
とまさかの質問の嵐。
そんなこと聞かれるとも思わず、いつもの様にぼけーっとしていたので、すぐに慌てふためく始末。
「アイドンノー」と流すのも冷たいし、かといって適当なことも言えないので、博物館の学芸員的な人をすぐに探し出し、聞きまくる。
学芸員の方も普段そんな質問されたことないのか、一瞬「え!?」となった顔を見逃さなかった。
そこはプロフェッショナル、すぐに質問に答えてくれるのだが、答えはわかったものの、それを英語に訳して伝えなければいけない。
極めて薄い脳みそしか持ち合わせていないので、脳内が早々にショート。
わたしの使えない頭に見切りをつけて、スペイン語を話せる夫に託すことにした。
のんきに仏像を見ている夫をつかまえ、「これこれこういう意味があると訳して!!」とバトンを渡す。
仏像の意味を真剣な表情で聞き、改めて仏像を凝視するファミリアたち。
神聖なものへの敬意が非常に強い彼らを目の前にして、鹿の悪口を言いまくる自分が軽薄で大変恥ずかしい。
これは博物館入って序盤の出来事である。
さらに仏像の深い世界にひきこまれていくファミリア一行。
実は一番仏像を深く理解しようとしていたのは、常に言葉少なげに静かに行動していたナッシュのママであると、数時間後に気づかされるのであった。
(つづく)