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Sukkuのクスッと笑わせて

2020.07.25 更新

⑥「Sukkuおうちへ行く」

Sukkuのご利用者さんの中には、ご夫婦で利用されている方々がおられます。
今回は山本さん(仮名)ご夫婦を紹介したいと思います。
ご主人は泰一さん(仮名)、奥さんは富江さん(仮名)とおっしゃいます。

泰一さんは、大手電力会社にお勤めされた後に独立。80歳まで自分で電気関係の仕事をされていました。独立して一人で大きな会社を相手に保守管理をされていた事もあり、性格は真面目で何事もきっちりされます。その反面、自分がおかしいと思ったことは誰が相手だろうとしっかりと意見を言う方でした。近所では有名な頑固者だったそうです。毎朝、新聞二紙を熟読、一日の終わりには日記を欠かさず付けられます。
そんな泰一さん、肺がんですがご本人の意思で手術はせず、今の状況を受け入れながら毎日を過ごされていました。年齢的にも進行はゆっくりで、内服でコントロールしている状態です。
富江さんは、両方の股関節が悪く、10年ほど前に人工関節の手術を受けられました。術後の経過は良好でしたが、両足の筋力低下と円背から来る肩凝りがあります。
そして、人を疑うことを知らない方で、どんな事でも信じやすく、そしてどこまでも天然な性格の方です。また、お茶と生け花の師範として長い間指導をされていました。
富江さんは、普段押し車を押して歩かれていますが、目の前に横断歩道があっても必ずその手前で渡ります。その際、前後の確認なんて致しません。なので、運転中に富江さんが歩いていたら要注意です。
つい先日道端で、杖をついて今にもこけそうに歩いている富江さんを発見。声をかけると「よかったー。ありがとう。」と声をかけただけなのに助手席に乗ってこられました。
私が「どうしたの?」と聞くと、「美容室に行こうと思って杖を持ったら、杖の先がなくて、歩けなくて困ってたの!」と。よく見ると、ただの木の棒でした。棒では歩けません。「押し車は?」と聞くと「邪魔になるから美容室に押し車なんて持っていけません!」ときっぱり。結局、車で美容室まで送っていきました。そして降り際に「神様に出会えた気分です!」と、私に向かって手を合わされました。

ご利用が始まり、少し気難しいと思っていた泰一さんでしたが、あっという間に馴染まれ、とても楽しそうに過ごされるようになりました。口癖は「ここのお茶が一番美味しい!」うちで出すお茶は熱くもなく冷たくもなく・・普通の麦茶。普段はお茶の先生である富江さんの作ったお茶を飲んでいる方なのに、うちの麦茶が美味しいと喜んでくださる事が何だか嬉しくて、スタッフが「一杯5000円!まとめて月末に請求しますね~」と返すのがお決まりの言葉に。そしてその度に、泰一さんはヒャッヒャッヒャと大笑いをされていました。富江さん曰く、何よりもSukkuで過ごす時間を生きる力にされていると。

そんな日が続いていたある日、富江さんから相談があったのです。「主人が夜になると咳が止まらない。そして、長い距離を歩くと息切れをするようになりました」と。
肺がんの進行です。
徐々に今まで通りの生活が難しくなり、自宅に来て診察してくれる医師に主治医を変更したり、訪問看護も入るように。酸素をしながらの生活も始まりました。
それでも泰一さんはSukkuに来てくださって、「ここのお茶は美味しい」と言い、スタッフが「一杯10000円!値上げしたしね!」と切り返すと、息切れをしながらもヒャッヒャッヒャと笑われていました。
そして、いよいよ主治医からSukkuの利用に対してドクターストップかかってしまったのです。けれども、それはただのストップではありませんでした。
主治医がSukkuに来られ、「泰一さんはSukkuのことをとても気に入っています。Sukkuが家に行ってくれませんか?」と依頼されたのです。
そんなことを言ってくる医師は初めてだったので驚きましたが、スタッフと相談し、家へ伺うことにしました。
家へ伺うとベッドから起き上がり、酸素をしながら一生懸命話しをされ、「Sukkuに行けないのが淋しい」と何度も何度も口にされました。私たちは、込み上げてくる気持ちをぐっと抑えながら、「お茶代まだ頂いてないから、また来てくださいよ~」というと、以前のようにヒャッヒャと笑う泰一さんがいました。私がベッドで富江さんのリハビリをしている時は泰一さんはスタッフと話しをして、泰一さんのリハビリをしているときは富江さんとスタッフが話しをして・・と、あっという間に時間が経ちました。といっても体力が低下している泰一さんですから、1時間が限界でした。息切れを起こし徐々に何を話されているのか分からなくなってきたのです。私たちもおそらくご本人も、これが最期と分かっていながら「またSukkuがおうちにきますね!」と言い家を後にしました。
それから2週間後、泰一さんは富江さんと娘さんに見守られながら、苦しまずに静かに逝かれました。お亡くなりになった日に自宅に伺い、スタッフ皆でお見送りをしました。その時娘さんに「おとうさんの日記には、Sukkuさんに行くことがとても楽しいって書いてありましたし、とても喜んでいました。本当にありがとうございました。」と言ってもらいました。その時私は、泰一さんの人生の最後にSukkuが関わることができて良かった。Sukkuをして良かった。と心の底から思ったのです。
そして、隣で座っていた富江さんに、「富江さん、最期までよく家で看病しはったね~」と言うと、「そうです。大変でした。肩が凝って肩が凝って。今マッサージ頼めませんか?」と言うのです・・。私が驚いて「えっ!今ですか?」と聞くと、「主人の隣で構いませんので、肩だけお願いできませんか?」と。私がどうしようか困っていると娘さんも「母をお願いします。」と懇願されました。そして私は、隣で穏やかな顔で眠っておられる泰一さんの横で富江さんのマッサージ。終わった後は私が肩凝りになってしまいました。
色んなドタバタがありましたが、私たちスタッフにとって、おうちにSukkuをもっていけた事は、泰一さんとのお別れの心の準備が出来たように思います。
泰一さんが亡くなって1年が過ぎました。富江さんは最近、天然の性格に付け加えて、物忘れが進み一人暮らしが徐々に難しくなってきています。何とか思い入れのある家で長く暮らせるように周りの人たちが必死にサポートしています。
Sukkuの窓から泰一さんのお墓が見えます。
富江さんとお墓を見ながら「泰一さん、今頃天国で何してるやろうね?」と話しながらお墓にむかって手を合わせています。
そんな、おうちにSukkuをもっていくことを頼みに来てくれた医師に私は感動し、それ以来私の主治医になりました。  (おしまい)

→次回のコラム「Sukkuのファッションリーダーは、寝ても覚めてもおめめぱっちり」です。

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