
こんにちは、竹内靖博です。今回のスツール通信は、直近の大学の授業をまとめたレポートを下地に綴ります。
こどもの頃からTV番組や音楽のジャンルなど、メインカルチャーと呼ばれるものが好きで、特に時代に抗うようなものには興味がなかったと思う。ところが、33歳からフィルムカメラマンに転向した人生を歩み始めることになり、サブカルチャー(カウンターカルチャー)の要素を秘めた仕事をしていることに、少しの矛盾とサブカルへの憧れを持っていた。しかし考えてみれば、ロックがサブカルであるならば、16歳から43年間も聴き続けているもっとマイナーなHARD ROCKが好き、そしてプロレスが好き、これがサブカル好きでないならなんだというのだろう。立派なカウンターカルチャーを愛しているではないか! レポートを書き、思いが巡ると、深くうなずく自分を発見した。
世界は、戦争という無残で愚かな体験をしているにも関わらず、今も尚どこかで勃発を繰り返している。人間が戦争を起こし、戦争は人間の思考や行動を根底から変えてしまう。では、音楽や映画など芸術に対する態度はどう変化したのだろう。
絵画の世界では1918年、第一次世界大戦後にダダイズムという運動がヨーロッパやアメリカで起きた。テクノロジーの発展により広がる文明、それを支える人々の理性に疑念を抱いた芸術家たちが、一見芸術とは無関係な日用品を用いて、本能的で前衛的な芸術を表現したが、他分野の芸術はどうだろう。
1912年、アメリカ生まれの作曲家・ジョン・ケージは、音楽家のありようを変えた音楽家である。十二音音楽の創始者であるアーノルド・シューベルクに師事し、自らの音楽道を模索する20代。打楽器のアンサンブルを結成し、ダンスの伴奏音楽をつくり、身の回りにあるボルトやゴム、フェルトをピアノの絃にはさみ、音高・音色を変えるような実験的な音楽づくりをしていた。30代で東洋思想を学び、中国の「易経」にもとづき、個々の音の設定値を決めていく「偶然性」を作曲に用いた。第二次世界大戦後から7年後の1952年、40代になるジョン・ケージは「4分33秒」という作品を発表した。一定時間の間、楽器の音を一切発さず、無音の状態に観客はいる。例えば、椅子のきしみ、風、咳、観客の気配、外部の音など、コンサート会場で自然に起こるすべての音を「聴き」とるのだ。作曲家が音楽をつくり、演奏家が楽器を奏で、聴き手に届けるという前提を壊す作品で、開放する作品でもある。つまり音を聴きとる空間が作品そのものである。五線譜の上だけが音楽ではないという思想の下、作曲家の意思を消した表現は、ダダイズムの作者達が行った意図を壊すことを受け継ぐかのようで、環境音が音楽である、という社会に対するジョン・ケージの問いが浮かび上がる。(註1)
では「4分33秒」が生まれた1952年、日本の芸術は何が発表されたのだろう。それは手塚治虫の原作「鉄腕アトム」が発表された年である。
それより以前は、ディズニーアニメが日本に上陸しているが、まだ平面的なものであった。主人公は写実的でリアルな表現ではなく、記号的なものに過ぎず、手塚治虫もそれらの表現技法を用いながらも、戦時中に描いた「勝利の日まで」で人間に血や肉を与えたのである。「鉄腕アトム」は、国民的人気アニメへと成長したが、出版当時は人間の闇の部分を色濃く描いていたこととで、漫画・アニメはおたくのための閉鎖的な娯楽と見られ、いわゆるサブカルチャー的扱いであった。(註2)
では、現代の日本のアニメ界を支えたサブカルチャーの定義とはなんだろう。戦後、社会の中心にいて、支配的で時代の流れに乗った主流文化とは反対の所に位置する文化である。主流文化に流されそうな別の考えをもつ小さな声を、抗うように表現したのがサブカルチャーであり、カウンターカルチャーと呼ばれる所以であろう。ジョン・ケージの表現も、音楽界に風穴を開けたサブカルチャー的発想と言える。戦争という悲惨な体験をした二人の芸術を通して、世界は多大なる影響を受けたことを忘れてはいけない。