スツール通信7/25版

●洗濯

こんにちは、スツールの竹内です。みなさん、お元気ですかー?梅雨バテしそうですね。洗濯担当の僕としては、死活問題でした。乾燥機がないわが家…。さぁどうする、この家難!そう、簡単なことです、文明の力を借りるのです。自分でコントロールできないことはあまり深く考えず、機械の力に頼るのです。寒風温風の出るサーキュレーターを導入。なるほど時間は掛かるけれど乾くなぁ。嫌な臭いも大丈夫。首振り機能も備わってるから全体に温風が行き渡る。でももっと素早く乾燥するには、尚且つドライをかければいいのかも。そして首振りはせず、時間が掛かるように思うけれど、一点集中型で1ポイントずつ乾かしていく方が確実なのかもしれないと、梅雨明け寸前に思い付きました。

●胃カメラ

先週、初の胃カメラにトライ!全然、どっこも悪い所はないはずだけど、念のため。両親おススメの先生に予約を取り、いざ。 母親から、「痛くも何ともないし、気付いたら終わってるから。」「へぇ~そうなんやー、先生上手いんやね!」当日の朝、鼻歌まじりに運転しながら到着。すると受付の方が、「お車でなければ鎮静剤打たれますか?」「えっ…?」「鎮静剤を注射されますと、今日は運転できませんが!!」「もう、最悪 。」言うといてよ、母親が言うてた気付いたら終わってたって、鎮静剤で寝てただけやないかぁー。なしで受けました。。 ・・・もう、死ぬかと思いました。看護士さんが横たわってる僕の後ろへ回り込んで来て羽交い絞め。直後、太っといホースみたいなカメラを喉へ、オォーーオォーーー。グイグイ奥へ。看護士さんは唾を飲むなとか、声を出すなとか言うけど、無理無理無理!!気を失いかけ、もう終わりかと思うと、最後に更に奥へ。思わずベッドを叩いて、ギブ。。 ・・・終わりました。  看護士さんはあっさり、ハイ起きて、ハイ靴はいて、ハイ隣の部屋へ移ってくださいって言う。小倉優子似のもう1人の看護士さんに、泣いてしもたというと、すごい笑顔でお疲れさまでした。。 ・・・ありがとうね。

30分後先生から結果発表。「竹内さん、ピロリ菌はいませんでした。これからもです。だからあなたは胃がんにはなりません。」「このポリープもほっといて大丈夫です。」「食道の入り口の筋肉が弱ってるので、食べたらすぐに横にはならないこと、前かがみにならないことだけ気を付けて過ごしてください。」「あっ、はい。」でもそんなことよりもっと気になることが僕にはあったのだ。「先生、胃カメラ検査ですが、毎年しないとダメですか…?」聞いてみた。すると、「もうしなくていいです。」「ヤッター!」 あっそうだ、来週に予約している大腸ファイバー検査をしなくてもいいか確認してみたところ、何もない!ということを手に入れることは大切なことだから、是非受けてくださいと。今度は佳代に付き添ってもらって、絶対に俺は鎮静剤を、

打つ!

●大腸ファイバー

この前の火曜日、2度目のドキドキがやって来た。そうファイバーだ。しかし今回は大丈夫ですよー、佳代が運転をしてくれてるから、僕は鎮静剤打つのだ!打てるのだ! ワッハッハッ、余裕余裕。着替えを済ませていよいよ診察台へ。なにこれ、サンダーバード2号の乗る時みたいにベッドがグルっと回って、おぉー発進。では注射を打ちますねー。そうそうコレコレ、早く早く。あれ、あれれ、、あれれれ、、、意識があるぞー。ピンピンしてるよー、大丈夫?

自分では検査中はずっと意識があって、全然注射が効いてないと思ってた。何故かというと、気持ち悪かったり、ちょっと痛かったり、仰向きになってくださーいと言われても出来ない!とか思ってたから、ずっーと意識はあったのだと思ってた。看護士さんに麻酔効いてなかったですねと聞くと、「途中で体勢を入れ替えてもらうので、うつらうつら状態だと思います。」と言われた。「ん?そう言えば先生が来られたのも知らないし、ファイバーがお尻に入る瞬間も全然知らないなぁ。」時計を見たら、30分で終わるはずが1時間経過していた。隣の部屋でずっと寝ていたのだ。なんで? 俺、寝てたん? 寝ぼけてんのん? そうか、記憶も確かに断片的だ。でもお腹が気持ち悪い瞬間だけは、ライブで感じてた。その時こそ寝かせてよー。。結果は、なんにもなしを手に入れることができました。

●まとめ

なんだかヘンテコな毎日を送っている僕たちですが、植物と戯れ、自分の体と心が向かい合い、音楽を聴いて、本を読み、歩いて、年齢にあったそれなりの生活をしてます。長男は相変わらず無茶苦茶で、分単位のタイムスケジュールを組み、スラローム生活を送ってはります。今もNPOの活動で、地域の子ども達を連れて3泊4日のキャンプに出掛けています。来月はまた無人島です。次男はそんな兄を横目に、学業とアルバイトにせっせと精を出し、時折夜中までバイクでどっか友達と走ってはります。俺の影響なのか、浜省と尾崎を聴いてるから間違いは起こさないね!

自分はかなり直観力が強く、幸運に恵まれ、目に見えない力に守られてる人生を送っているんだなぁと思う場面がちょこちょこある。これまでに何度も落ちる経験もしたけど、思い返せばそんな時もあんまりジタバタせず、波風を自分で立てないようにやり過ごしていると、向こうから小さな小さな波がやって来て、そっと大丈夫な場所へ運んでくれてるんだと思う。ここ最近でも植物が齎してくれた幸運が幾つかやって来ている。

みなさんにも幸運がやって来ますように。

サニー文庫7/25版

竹内佳代がスタジオスツールで、毎月第4土曜日の10:00~12:00にSUNNY BUNKO(家庭文庫)を開いています。

7月25日(土)のサニー文庫は、外で開催予定でしたが雨の為お休みとさせていただきます。

文庫のことでお問合せをいただきありがとうございました。長いお休みになりますが次の文庫を待っていて下さいね。よろしくお願い致します。


6月に初めて梅狩りを体験しました。敷地に千本の梅の木。

あちらからこちらから眺めながら“美味しそうな梅”をもぎ取り、歩きました。

梅の入った袋を家で開くと、部屋に梅の香りが広がって今年も無事に梅仕事ができましたよ。

初めて漬けた「城州白梅」という香りのよい梅。

梅酒、梅シロップ、沢山の瓶が台所に並んでいます。

『うめぼしさん』 かんざわとしこ文 / ましませつこ絵

梅の洗われるようすがでてきます。

“ころころぽちゃぽちゃおけのなか” 水にうかぶ梅たちは気持ちよさそう。

みんなと一緒に読みたかった一冊。

お客さんのコラム7/25版

おばあちゃんの編み物教室のモットーは?の巻

産まれる数時間前までもうじき陣痛と闘うこともつゆ知らず、ちくちくしていた編み物。

出産したら入院中、赤ちゃんのお世話の合間に編み物しよ〜っと入院セットの中に編み物道具を用意していました。
3人目だし、赤ちゃんのお世話には少し余裕があるだろうし。

入院中、長女と次女と離れるのは寂しいけど、でも朝昼晩、ご飯も作らずとも運ばれてきて、ゆっくり食べられたり、長女、次女をお風呂に入れたり、寝かせたり…ドタバタの日常から少し離れて赤ちゃんとゆっくりと二人の時間になれる入院生活が少し楽しみだった。

長女次女を寝かせた後、夜10時ごろお腹が少し痛いことに気づいて、時計をみると既に陣痛らしき痛みが10分間隔で来ていたので、産院に連絡してすぐ入院となった。
そのまま、あれよあれよとお産が順調に進み、その数時間後の2時ごろ無事に三女が産まれた。
ほやほやの可愛い新生児の赤ちゃん。
家族みんな大喜びで赤ちゃんを迎えてきてくれた。
おばあちゃんも翌日、赤ちゃんと私に会いに来てくれた。
…が、わたしのベッドの横にある入院セットのバッグを見てびっくり!!

産後とにかく休むのが仕事。
編み物なんて産後は以ての外。
また編み物はいつでも出来る。今はこの可愛い赤ちゃんの事と自分の体を休める事しか考えたらあかん。
と言って産後1ヶ月経つまでは編み物禁止令と共にわたしの編み物バッグを没収される。笑

そして本当に1ヶ月経つまで返してもらえなかった。笑

私編み物師匠のいつも優しいおばあちゃん、
怒られてしまったけど、愛情を感じたのも確かだった。

でも本当におばあちゃんの言う通りだったとすぐに痛感することになる。

3人目だからと余裕をこいて入院セットに準備していた自分をビンタしたいと、後々思うのだった。笑

どんなに可愛くてよく寝てくれても、
後陣痛などの体のトラブル、貧血、寝不足、赤ちゃんが寝てる時間は自分も爆睡。
手も目も使ってちくちく…する気力なんて皆無だった!!
退院後もやはり、1ヶ月先まではフラフラ。
長女次女の生活もあった為里帰り出産もしなかったので、本当に産後も毎日過ごすので精一杯だった。
編み物の事を考える間もない日々だった。

やっと、編み物したい!そろそろ出来ると思ったのは1ヶ月健診も過ぎ、日常に余裕が出てきたころだった。
おばあちゃんのお許しも出て、また編み物教室が再開。
急いでしなくてもな、ぼちぼちと
編んで行ったらええ。
編める時に編んでしないとあかんよ。
まずはお母ちゃんとして子どもたち優先したげなあかんよ。優しい気持ちでな。
育児やら家事の合間にするのがまた頭が切り替わってええのよ。ぼちぼちしいな、楽しく。
と言ってくれた。

そうそう、お母さんとして愛のある編物をしたいからそうしていこうと思えた。

編み物って不思議で、今まで編んできたものを振り返ってみてみると、その時期にあった出来事と風景が一緒に蘇る。
この手袋編んでた時、次女の事でこんな悩みあったなぁとか、この帽子編んでた時長女の歯が抜けた時期やなぁとか。
編んできた全部のものにその時期の風景が浮かぶ。
きっとちくちく編み物しながら色んな事頭で考えたりしながら編んだりしてるのかな。

だから、焦ったりイライラしながら編んだりすると、きっとその事が蘇るだろう。
編んだものをみて、イライラしながらや無理しながら編んだ風景が蘇る編み物は嫌だ。

やっぱり気持ちに余裕をもって、優しい気持ちを編み物に反映したいので、わたしの編み物は心がやりたい時に、優しい気持ちを込めて進めていきたいなと思う。

おばあちゃんに産後編み物を没収されたのは、きっとそういう意味だったのだろう。

おばあちゃんの編み物教室は
優しい気持ちをひと針ひと針こめていくことがモットーのようです。
手にした時に優しい気持ちになれるように。
優しい気持ちを纏えるように。

写真・文 / 田畑由布子

2012年11月からのお付き合い。3姉妹5人家族になった今も年に2回、必ずスタジオや名張市のご自宅で撮影させて頂いてます。


⑥「Sukkuおうちへ行く」

Sukkuのご利用者さんの中には、ご夫婦で利用されている方々がおられます。
今回は山本さん(仮名)ご夫婦を紹介したいと思います。
ご主人は泰一さん(仮名)、奥さんは富江さん(仮名)とおっしゃいます。

泰一さんは、大手電力会社にお勤めされた後に独立。80歳まで自分で電気関係の仕事をされていました。独立して一人で大きな会社を相手に保守管理をされていた事もあり、性格は真面目で何事もきっちりされます。その反面、自分がおかしいと思ったことは誰が相手だろうとしっかりと意見を言う方でした。近所では有名な頑固者だったそうです。毎朝、新聞二紙を熟読、一日の終わりには日記を欠かさず付けられます。
そんな泰一さん、肺がんですがご本人の意思で手術はせず、今の状況を受け入れながら毎日を過ごされていました。年齢的にも進行はゆっくりで、内服でコントロールしている状態です。
富江さんは、両方の股関節が悪く、10年ほど前に人工関節の手術を受けられました。術後の経過は良好でしたが、両足の筋力低下と円背から来る肩凝りがあります。
そして、人を疑うことを知らない方で、どんな事でも信じやすく、そしてどこまでも天然な性格の方です。また、お茶と生け花の師範として長い間指導をされていました。
富江さんは、普段押し車を押して歩かれていますが、目の前に横断歩道があっても必ずその手前で渡ります。その際、前後の確認なんて致しません。なので、運転中に富江さんが歩いていたら要注意です。
つい先日道端で、杖をついて今にもこけそうに歩いている富江さんを発見。声をかけると「よかったー。ありがとう。」と声をかけただけなのに助手席に乗ってこられました。
私が「どうしたの?」と聞くと、「美容室に行こうと思って杖を持ったら、杖の先がなくて、歩けなくて困ってたの!」と。よく見ると、ただの木の棒でした。棒では歩けません。「押し車は?」と聞くと「邪魔になるから美容室に押し車なんて持っていけません!」ときっぱり。結局、車で美容室まで送っていきました。そして降り際に「神様に出会えた気分です!」と、私に向かって手を合わされました。

ご利用が始まり、少し気難しいと思っていた泰一さんでしたが、あっという間に馴染まれ、とても楽しそうに過ごされるようになりました。口癖は「ここのお茶が一番美味しい!」うちで出すお茶は熱くもなく冷たくもなく・・普通の麦茶。普段はお茶の先生である富江さんの作ったお茶を飲んでいる方なのに、うちの麦茶が美味しいと喜んでくださる事が何だか嬉しくて、スタッフが「一杯5000円!まとめて月末に請求しますね~」と返すのがお決まりの言葉に。そしてその度に、泰一さんはヒャッヒャッヒャと大笑いをされていました。富江さん曰く、何よりもSukkuで過ごす時間を生きる力にされていると。

そんな日が続いていたある日、富江さんから相談があったのです。「主人が夜になると咳が止まらない。そして、長い距離を歩くと息切れをするようになりました」と。
肺がんの進行です。
徐々に今まで通りの生活が難しくなり、自宅に来て診察してくれる医師に主治医を変更したり、訪問看護も入るように。酸素をしながらの生活も始まりました。
それでも泰一さんはSukkuに来てくださって、「ここのお茶は美味しい」と言い、スタッフが「一杯10000円!値上げしたしね!」と切り返すと、息切れをしながらもヒャッヒャッヒャと笑われていました。
そして、いよいよ主治医からSukkuの利用に対してドクターストップかかってしまったのです。けれども、それはただのストップではありませんでした。
主治医がSukkuに来られ、「泰一さんはSukkuのことをとても気に入っています。Sukkuが家に行ってくれませんか?」と依頼されたのです。
そんなことを言ってくる医師は初めてだったので驚きましたが、スタッフと相談し、家へ伺うことにしました。
家へ伺うとベッドから起き上がり、酸素をしながら一生懸命話しをされ、「Sukkuに行けないのが淋しい」と何度も何度も口にされました。私たちは、込み上げてくる気持ちをぐっと抑えながら、「お茶代まだ頂いてないから、また来てくださいよ~」というと、以前のようにヒャッヒャと笑う泰一さんがいました。私がベッドで富江さんのリハビリをしている時は泰一さんはスタッフと話しをして、泰一さんのリハビリをしているときは富江さんとスタッフが話しをして・・と、あっという間に時間が経ちました。といっても体力が低下している泰一さんですから、1時間が限界でした。息切れを起こし徐々に何を話されているのか分からなくなってきたのです。私たちもおそらくご本人も、これが最期と分かっていながら「またSukkuがおうちにきますね!」と言い家を後にしました。
それから2週間後、泰一さんは富江さんと娘さんに見守られながら、苦しまずに静かに逝かれました。お亡くなりになった日に自宅に伺い、スタッフ皆でお見送りをしました。その時娘さんに「おとうさんの日記には、Sukkuさんに行くことがとても楽しいって書いてありましたし、とても喜んでいました。本当にありがとうございました。」と言ってもらいました。その時私は、泰一さんの人生の最後にSukkuが関わることができて良かった。Sukkuをして良かった。と心の底から思ったのです。
そして、隣で座っていた富江さんに、「富江さん、最期までよく家で看病しはったね~」と言うと、「そうです。大変でした。肩が凝って肩が凝って。今マッサージ頼めませんか?」と言うのです・・。私が驚いて「えっ!今ですか?」と聞くと、「主人の隣で構いませんので、肩だけお願いできませんか?」と。私がどうしようか困っていると娘さんも「母をお願いします。」と懇願されました。そして私は、隣で穏やかな顔で眠っておられる泰一さんの横で富江さんのマッサージ。終わった後は私が肩凝りになってしまいました。
色んなドタバタがありましたが、私たちスタッフにとって、おうちにSukkuをもっていけた事は、泰一さんとのお別れの心の準備が出来たように思います。
泰一さんが亡くなって1年が過ぎました。富江さんは最近、天然の性格に付け加えて、物忘れが進み一人暮らしが徐々に難しくなってきています。何とか思い入れのある家で長く暮らせるように周りの人たちが必死にサポートしています。
Sukkuの窓から泰一さんのお墓が見えます。
富江さんとお墓を見ながら「泰一さん、今頃天国で何してるやろうね?」と話しながらお墓にむかって手を合わせています。
そんな、おうちにSukkuをもっていくことを頼みに来てくれた医師に私は感動し、それ以来私の主治医になりました。  (おしまい)

→次回のコラム「Sukkuのファッションリーダーは、寝ても覚めてもおめめぱっちり」です。

写真・文/ 川瀬啓介・未央

Sukku 川瀬啓介 / 未央 (理学療法士・鍼灸師 / 鍼灸師)
〒622-0002 京都府南丹市園部町美園町4-16-38

TEL 0771-62-0005

2017年から京都の南丹市でリハビリを中心としたデイサービスをしています。利用者さんと過ごす時間は、笑い声と涙が入り混じる賑やかな毎日です。そんなささやかな日常、会話から気付かされること、そして個性派揃いのスタッフについて…これから色々な事を綴っていこうと思います。

2011年11月からのお付き合い。2兄弟4人家族になった今も1年に1回、必ずスタジオで撮影させて頂いてます。Sukkuというデイサービスの屋号を、佳代が名付けさせて頂きました。


今号はデコさんのご都合により休載します。


イソヒヨドリは、青色でおなかがオレンジ色の「まめちしきのカワセミ」に似た色をしていて、田んぼや海の近くで見られる鳥です。鳴き声もとてもきれいで、「ホイピーチョイチョイ、ツツピーコー」などと鳴いて、よく雨あがりに鳴きます。スズメより大きくて、ちょっとヒヨドリより小さいのがイソヒヨドリです。メスは、茶色や黒をしていて、とても地味な色をしています。主に虫を食べてくらしています。5年生になって、席がまど側になった時に何回もイソヒヨドリが見ることができて、うれしかったです。ここでクイズです。イソヒヨドリ以外にイソヒヨドリの仲間は何種いるでしょう。

1.2種

2.5種

3.7種 

答えは次の鳥図かんにのせます。

最後に、前のクイズの答えを発表します。 

正解は、

2.の せ中が茶色でおなかがまっ白 でした。

絵・文/ 中野響

2005年10月からのお付き合い。姉弟4人家族になった今も2~3年に1回は必ず、スタジオや城陽のご自宅で撮影させて頂いてます。


『いきもの漢字図』えざきみつる

突然ですが問題です!「片喰」「捩花」いったい何かわかりますか?

答えは、この本のなか!この本は、版画といっしょにいきものの名称(難読漢字)が書いてある本です。とっても色あざやかで綺麗ですよ。

難しい漢字ばかりだけど、眺めているだけでも楽しいです。私のおすすめは、野花漢字図のページ。このページだけ、背景が黒く、花の色がきわだって綺麗なんです。

実は、この本には、作者のえざきみつるさんが作った漢字がひとつだけあるんです。でも、どの字も見たことなくて、ムズカシイ・・・! 答えはあとがき・解説のページにあります。探してみて!

とってもすてきなので、ぜひ見てみてください!

文/ 木下琴子

2006年3月からのお付き合い。琴子ちゃんが生まれた今も記念日ごとには必ず、スタジオやお好きなロケ場所で撮影させて頂いてます。埼玉県からお越し下さいます。

お客さんのコラム7/10版

師はいろいろと偉大なり…笑。の巻

編み物教室に通いながらおばあちゃんの新たな一面に気づいたことがあった。

おばあちゃんは実はすごく丁寧なんじゃないかということ。

おばあちゃんは私の目から見てもおおらかで細かい事は一切気にしないし、明らかに大雑把だとばかりずっと思っていたのだけど、編み物はそうはいかない場面が多々ある。

編み物は、編み目を一目間違えたり落とすだけで、全部の歯車が狂ってしまう。
偶数を奇数に変えるだけでその後の設計を大きく変えてしまう。
模様が全く合わなくなってしまう。
なので一目一目が大事な編み目で、その一つ足りないだけでも大きな誤差になってしまうので、丁寧に一目を大事に編まないといけない。
かと言っても私なんて間違いばかり。
「あ、編み目一つ足りない!(もしくは編み目がいつのまにか増えている!)」なんて場面が多々ある。
やばい、折角ここまできたのに…一目くらいだし…誤魔化したろかな…という思いはまず抱いてしまうけど。
その誤魔化が完成に大きく影響する事を身をもって体験したので、もうそんな事はしなくなってきた。

もし間違いに気づいた時は誤魔化さず、間違えた所までを解いて戻り、一つ一つ編んで重ねてゆく。
こうじゃなきゃやっぱり完成しないのだ。

何を隠そう、私も自他共に認める大雑把。
だいたい…でなんでもやってきた気がする。笑

大雑把はおばあちゃん譲りだとてっきり思い込んでいたのだけど、編み物の師匠の私のおばあちゃん、実はすごく丁寧なんじゃないのか。とここへ来て初めて気付いた。
編み物が得意で数々の細かい編み模様の入ったセーター、帽子、ワンピース、靴下、手袋…これは丁寧じゃないと絶対できない!!(断言!!)
編み物の模様は一段一段積み重ねて編んでゆき、出来上がるもの。一目ごと、一段ごとの丁寧な積み重ねでしかできないものだった。
失敗を重ねて身をもって体験して気づいた編み物の事と、おばあちゃんの一面。
おばあちゃん、今まで勘違いしていてごめんなさい。笑

でもやっぱり普段のおばあちゃんはどう見てもおおらかであり、大雑把。
小さい頃からおばあちゃんに、細かい事を言われた事もなければ、そう感じた事もない。

普段はそうであって、編み物では丁寧さを発揮。
それって、その使い分けできるって最強じゃないのか。。と最近思うようになってきた。
きっとおばあちゃんは使い分けてるつもりはないのだろうけど、そのバランスが上手く混在していて、私の理想とする最強の大雑把の形だ。
師匠、編み物の師匠と弟子入りしましたが、生き方を学ぶようになってきた気がする私でした。偉大なり…!!笑

写真・文 / 田畑由布子

2012年11月からのお付き合い。3姉妹5人家族になった今も年に2回、必ずスタジオや名張市のご自宅で撮影させて頂いてます。


⑤「谷本さんのゴルフはアリ地獄」

 Sukkuをご利用される方は、目標や目的を持っておられる方がほとんどです。
今回のコラムで紹介するのは、谷本さん60歳代の男性です。
この方は約10年前に「進行性核上性麻痺」という病気を発症されました。
進行性核上性麻痺は難病の1つで、脳の中の大脳基底核 、脳幹、小脳といった部位の神経細胞が減少し、転びやすくなったり、下方を見ることがしにくい、しゃべりにくい、飲み込みにくいといった症状がみられる疾患です。初期にパーキンソン病とよく似た動作緩慢や歩行障害などがみられて区別がつきにくいこともありますが、パーキンソン病治療薬があまり効かず、効いた場合も一時的のことが多く、経過がより早く進む傾向があります。
(難病情報センターより)

そんな谷本さんは、家業である動物を世話する仕事をされていましたが、発症して数年が経ち、だんだん動けなくなり仕事も出来なくなりました。しかし、本人は動けるようになりたい!という思いでSukkuをご利用になりました。私たちは、自分の親とそう年齢の変わらないこの方を、何とかしたいと頑張りました。
谷本さんは口数は少ないですがいつも柔和な表情でとても穏やか。身長160センチ代後半、体重が80キロ以上と肥満傾向の方です。
私たちはまず体重を落として動きやすい身体を作ろうと、リハビリを始めました。
マシーンでのトレーニングに加え、自転車を20分以上漕いでもらったり、平行棒で段差の上り下りをしたりとすごく動いてもらいました。ですが、減量の成果はあまり見られませんでした。それもそのはず、運動すればお腹が減る。家に帰って食べる食べる。私が「谷本さん、昨日の夜ご飯なに食べましたか?」と聞くと、小声で「ハンバーグ。」また次の利用時に聞くと、「外に食べに行った。美味しかった。」とボソッとつぶやくように言われました。
私は何回か聞いて、聞くことをやめました。60歳代と若いけれど自由に身体が動かないので、どうしても楽しみは食事になってしまうのです。それが分かってからは減量を目的にすることをやめました。
一方身体の方はというと、運動量を増やしたり自分の身体の使い方を意識してもらうことで徐々に成果が出てきました。歩くスピードを調整できるようになり、方向転換がスムーズになりました。それは、誰から見てもわかるくらいでした。そうなると本人のやる気もどんどん向上。自宅周りでのウオーキングの距離を増やしたりと、状態はとても改善しました。
そして、本人も自信が出てきたんでしょう。こそっと「今度5年ぶりにゴルフに行くんや」って教えてくれました。私も趣味でゴルフをしていますので、一緒にスイングの練習をしたり、飛距離を伸ばすためのトレーニングも行いました。病気の症状の1つである、歩きだすと止まらなくなる突進歩行は長い距離を歩くと出てくるので、それに対して一抹の不安はありましたが、友人に車に乗せてもらいゴルフに行かれました。
次の日私が「どやった?」と聞くと「2、3回こけたけど大丈夫やったわ」と嬉しそうに話をされていました。身体を診ると膝には打撲の跡が。でも、本人の表情を見るととても嬉しそうでしたので、そこからどのようにしてこけたのか?を聞き出し、こけない様に対処する方法を伝えたり、こけても軽傷ですむ様なこけ方を伝えました。
そして、しばらくして谷さんがボソッと「2回目のゴルフに行く」って教えてくれました。前回よりも出来るのではないか、、、と内心思っていたので、ワクワクしながら送り出しました。
しかし、次の利用日に迎えに行くと、傷だらけの顔で谷本さんが家から出てこられました。私はびっくりして、「どうしたん!?」と急いで駆け寄りました。
谷本さん「こけたんや。」
私「どこで?」
谷本さん「ゴルフ場で」
私「ゴルフ場のどこで?」
谷本さん「途中までは良かったんや。けど、バンカーでこけたんや」
よくよく聞くと・・いい調子だったがバンカーに入ってしまい、歩いてバンカーに入った1歩目で右膝から崩れ落ちた。そして、そのまま顔が砂に埋まり、そこから動こうとしてもなかなか動けず、動くたびに砂と顔が擦れて顔面傷だらけになってしまった。助けに入った友人は手を持って立たそうとするけど、足場が砂やから不安定で踏ん張りがきかない。そして、谷本さん80キロ以上あるから支えきれずに、最後は二人で転倒。周りから見ると、砂場でよい大人がプロレスをしているような状態になってしまった・・・とのこと。
結局3人がかりで谷本さんを救出したそうです。私はこのバンカーでの出来事を聞いて、大人がアリ地獄にはまって出られなくなっているところに、また1人また1人と次々とアリ地獄にはまっていく光景をイメージしてしまいました・・。
それ以来、谷本さんの口からゴルフの話しを聞くことはありませんでした。
そんな谷本さんは病気が進行してSukkuをお休みされていますが、必ず元気になってまた戻ってくるという目標をもっておられます。
このコラムを通じて谷本さんにエールを送りながら、5回目を終わります。

谷本さん!私たちはあなたが戻ってくるのを待ってますよ!!

→次回のコラムは「Sukkuを家にもっていっちゃった!」です。

写真・文/ 川瀬啓介・未央

Sukku 川瀬啓介 / 未央 (理学療法士・鍼灸師 / 鍼灸師)
〒622-0002 京都府南丹市園部町美園町4-16-38

TEL 0771-62-0005

2017年から京都の南丹市でリハビリを中心としたデイサービスをしています。利用者さんと過ごす時間は、笑い声と涙が入り混じる賑やかな毎日です。そんなささやかな日常、会話から気付かされること、そして個性派揃いのスタッフについて…これから色々な事を綴っていこうと思います。

2011年11月からのお付き合い。2兄弟4人家族になった今も1年に1回、必ずスタジオで撮影させて頂いてます。Sukkuというデイサービスの屋号を、佳代が名付けさせて頂きました。


『なぜこんなに生きにくいのか』 南直哉 新潮文庫

日曜午後のご機嫌なラジオ番組、「ラジオ・シャングリラ」。そこでかかる音楽は、一曲一曲でもとても素敵なのに、パーソナリティの立川さんと森永さんの巧みな語りにはさまれると、ピンク・フロイドも、ジョン・レノンも、コルトレーンも松任谷由美も、相互に絶妙な関連性が生まれて、とんでもなく心地よい、しあわせな時間になるのです。

 コロナ以前の日常を取り戻すにはほど遠く、新たな日常にもなじめないこの頃…ラジオを聴きながら、まったく別ジャンルの本を思い出しました。

 今わたしたちはコロナの時代にあって、これまでのことは一体なんだったのか、自然と人間との関係は? 人類の発展とは? これからどう生きるべきなのかと、思いを巡らせています。
 人間はこれまで、自由奔放に進歩をめざしてきました。その結果、触れることのなかった自然の奥深くにまで手を伸ばし、未知のウイルスがこちら側に入ってきた、そういう説が現在よく語られています。では、自由とはいったいなんなのか? これほどの自由を手に入れながら、人間はどうしていつまでたっても苦しむのか?

 そこでわたしは、恐山の禅僧、南直哉(みなみ じきさい)さんに相談するような気分で、 この本を開きました。

 南さんは、自由…それは自分にブレーキをかけられる状態である、と語ります。ブレーキをかけずに、どこまでも好き放題にやることは、ただ欲望にすぎない、と。
 また、人はただひとりでは意義はない、とも言い切ります。この世に生まれてしまった、そのこと自体に本来意味はなく、だれもがただ、最後のその日まで生ききってゆくだけだと。

 そこに生きる意味を生じさせるためには、人と人がお互いの関係をたいせつに育て上げ、「関係性」という価値をみずから創造していかなければならないのです。つまり、人と人とのつながりや関係性を、こわれものを扱うようにたいせつに育てていくことで、生きていく意味は生まれるのです。

 そのたいせつな関係性は、「敬意」をもって育てるべきだと、さらに南さんは重ねます。敬意とは、つまり想像力です。お互いを思いやり、お互いのわからなさを認め合い、わからないけれどもわかろうとすることで、互いを尊重しあう関係。そのことが、この人生の生きにくさを、すこしでも小さくしていく。

 この本では、社会、死と宗教、人生の意味、家族などさまざまなアプローチから、人生をいかに生きるかが語られています。やさしい語り口なので気軽に読んでみてください。

写真・文/ 中務秀子

2018年・第27期のフィルムカメラ教室の生徒さんとして、お付き合いが始まりました。今もフィルムカメラを続けてらして、二眼レフカメラにも挑戦中。こどもと大人の絵画造形教室 / コッコ・アトリエを京都の一乗寺で仲間とされています。


キビタキは、黄色と黒色をしていて低い山ででも見れるきれいな鳥です。前にしょうかいしたルリビタキの仲間です。鳴き声は「チュチュリー、フィー、チョチョチョリチョリ、フィフィフィー」などと鳴きます。キビタキは奈良の葛城山で初めて見ました。なかなかすがたを見せない時もあるので、声が聞こえても見れない時があります。でも声で、いる場所が分かることもあるのでしっかり声を聞いて置くと鳥を見つけやすくなります。好きな所は、おなかの色がとてもあざやかな所と、ふっくらしてる所です。この鳥も写真におさめたいと思っています。ここでクイズです。キビタキのオスは黄色と黒色だけどメスは何色でしょう。

1. せ中が黒でおなかはまっ白

2. せ中が茶色でおなかはまっ白

3. オスと同じ色

答えは次の鳥図かんにのせます。

絵・文/ 中野響

2005年10月からのお付き合い。姉弟4人家族になった今も2~3年に1回は必ず、スタジオや城陽のご自宅で撮影させて頂いてます。


『西の魔女が死んだ』梨木香歩

中学校へ進んでまもなく、どうしても学校へ足の向かなくなったまい。まいは、しばらく「西の魔女」ことおばあちゃんの家で過ごすことになる。おばあちゃんから、まいは魔女になるための手ほどきを受けるが、修行の要は、何事も自分で決めることだった。

おばあちゃんの生活、例えばジャムを作ったり、洗濯をしたり、エプロンを作ったり、そういったことが全部すてきです。

読みながら風景が目に浮かびます。読み終えたらなんだか成長できた気分になるかも…?

描写がていねいできれいなので、少し難しい言葉や言いまわしでとっつきにくいところがあっても、すぐに入りこんでしまいます。

実は、伏線も張ってあって、わかる人には何のことかわかるかも….?すごくいい本なので、ぜひ読んでみてください!

文/ 木下琴子

2006年3月からのお付き合い。琴子ちゃんが生まれた今も記念日ごとには必ず、スタジオやお好きなロケ場所で撮影させて頂いてます。埼玉県からお越し下さいます。