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お客さんのコラム4/25版

2021.04.25 更新

『春原さんのリコーダー』東直子

今回紹介するのはなんと、歌集です!

歌集というと敷居が高く感じる人も多いとは思いますが、

短歌はとてもおもしろいです!

和歌のように情景を詠んでいるわけでなく、正直意味がよくわからないものも多いです。

「お祈りは済ませましたかその後ももとの形に戻れるように」

「違うのよ ふゆぞら色のセーターににわかにできる毛玉のような」

などなど。

意味ではなく、言葉を楽しむのがいいのかもしれません。

初回に紹介した『リマ・トゥジュ』の「一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った 非常階段」

がのっていて買ってもらった歌集でもあります!

東さんの第一歌集、おすすめです!

文・写真/ 木下琴子

2006年3月からのお付き合い。琴子ちゃんが生まれる前から撮影をさせて頂いてます。小学6年生になった今も記念日ごとには必ず、スタジオやお好きなロケ場所で撮影させて頂いてます。埼玉県からお越し下さいます。幼い頃から、本が好きと撮影のたびに僕に話してくれた琴子ちゃん。読みたい物語がまだまだ沢山あると思うと、これからが楽しみとも話してくれた。そんな琴子ちゃん目線の書評を毎月2回、依頼しています。


4月から、わたしのフリーランス生活がはじまって、ほぼ1か月がたちました(これについては、前々回と前回のコラムを参照してください)。

 引退の日に生まれた4番目の孫も、すくすく育って、このごろは抱き上げると目が合うように。赤ちゃんって、いつも思うのですが、生まれてからしばらくは、神様からの預かり物みたいです。そのころの赤ちゃんは、まだ向こうの世界に住んでいて、その後次第に、目が合い、オックーン、ウックーンと喃語を発し、ふんわりと笑みを浮かべるようになります。そうなればもう、この世界にようこそ!
 一方、わたし自身は、というと、コロナ禍のために1週間お預けだった赤ちゃんとの初対面のその夕べ、人間ドックの結果を見て、ああ~っとなりました。腫瘍マーカーにひっかかり、再検査の通知……。その上、奥歯が勝手に割れたりして、抜歯。さいわいどちらも、検査も処置も無事にすみましたが、ことほど左様に、いいこともそうでないこともかわるがわる起こってくる、いつも変わらぬ日常でした。
 そんな日々に出会った本は、この本です。

『ダンス・イン・ザ・ファーム』(副題:周防大島で坊主と農家とその他いろいろ)
  中村明珍著・ミシマ社

 瀬戸内海の西端に位置する周防大島で、僧侶、農業、その他いろいろを営む明珍さんの日々のあれこれ。もともと東京でパンクバンドを組んでいた明珍さん。その周りではまあ、さまざまなことが起こります。明珍さんとは、この本より前に、独立研究者の森田真生さんのトークイベントでその声に接していたのですが、そのおり、「ボク、いじられやすい人だったんです」と語っていました。感じやすくいじめられやすい人が、好きだった音楽をやめ、島で再生? そのことにわたしはおおいに興味が惹かれました。

 一時音楽は、ほんとうにすっぱりやめてしまった明珍さん。その事情にはさらりとしか触れらていませんが、なんとなく事情はわかります……。だって明珍さんは、島に来てから、そこが「生命そのものを感じられるちょうどよさそうな場所」だと気づくのですから。それまではたぶん、そうではなかったということでしょう。

 もちろん島にも多くの問題があります。まず超高齢化。音楽をやめたあと、まず僧侶の修行をして、その後なりゆきから農業もするようになった明珍さんは、ここではかなりの若手です。でも島のお年寄りは、80、90になっても現役。できることはなんでも自分でやり、得意でないことは誰かにお願いする、の精神で乗り切っています。そうすることで、目に見える形となってできてゆくことや、見えないけれどたいせつな縁のようなものも、いっしょに立ち上がってくるのです。若い明珍さんはそこから多くのものを学びます。

 島に古くからある習慣の「お接待」も、そのひとつ。
 あるとき、島と本州を結ぶ大橋に大型船が衝突し、長い間断水するという大事故が起きました。島外から支援の物資が届けられ、自衛隊が給水にきてくれました。そんな中、島の人たちはただ助けられるだけでなく、自然発生的に、近所の子どもたちにおかずをふるまったり、自衛隊の人にもそれらを届けたりしはじめたのです。

 もともと周防大島では、お遍路が行われていました。島の人々が、道行くお遍路さんに食べ物を施したり、一夜の宿を提供したり。それは、人々自身の供養や修行となり、ひいては喜びにもなっていたのでした。そこには、自分たちだけでなく、みんなが幸せでいてほしい、という人々の祈りや思いがある、そしてそれは、今ここにある現実の一歩先にある理想なのだ、と明珍さんは感じました。

 こうして明珍さんは、いろんなご縁もいただきながら、同時に、自分なりにできること、自分が楽しいと思うことを、周囲の人と分かち合いたい、という気持ちをもつようになります。島外の人も楽しめるイベントをつくったり、農作物の直販や配達をしたり。それはもちろん、商売でもあるけれど、そもそもの喜びを人々と分かち合いたいという営みでもありました。明珍さんは知らず知らず、島の「お接待」の精神にも通ずる営みによって、浄化されていくのでした。

 大きな事故が起こっても、自然災害が起こっても、島の人々はその現実を認めて、受けとめていく。

「受け止めるというか、自分たちの生命、心や身体の土台をもう一回思い出す。何をベースにして生きているのか。生きていて楽しいのはどういうことか。事故を経た今、そう思う。」

 こう書く明珍さんの言葉を受けとめて、わたしも動きながら、立ち止まりながら、周りの人や自然ととけあって生きていきたいと思います。

写真・文/ 中務秀子

2018年・第27期のフィルムカメラ教室の生徒さんとして、お付き合いが始まりました。今もフィルムカメラを続けてらして、二眼レフカメラにも挑戦中。デコさんは本好き、映画好き、芸術好き、お話好き。いわば “ 忙しいひまじん ” です。とても自由で全然気取ってない表現に親近感を覚えさせてくれる先輩です。そして心友になりました。


25ページ

ヒバリは、春の田んぼで「ピーチクパーチク」鳴いているスズメみたいな色をした鳥です。

一年中見られるけど冬はあまり見かけません。

2月の初めから鳴いているものもいます。

空中でも鳴くし、地上でも鳴くので、どこにいるかよく分からない時もあります。

空でも鳴いているのを見つけても、カメラを向ける間に空高く、まい上がって行ってしまいます。

たとえ空中でとれても、ブレるし逆光だったりするので苦戦しています。

地面を歩いて昆虫や種子を食べるので後ろの指の「つめ」は長いそうです。

好きなところは草の中から顔を出したりひっこめたりして移動しているところです。

でも、かくれることができていなくて、丸見えなところがかわいいです。

ここでクイズです。

地上の巣の場所がばれないようにするために何をしているでしょう。

1.巣をたくさん作ってどれか分からないようにする

2.巣の場所を毎日変える

3.巣の手前で降りて歩いて巣までいどうする

正解は次の鳥図かんで発表します。

最後に前回のクイズの答えを発表します。

正解は

2.のスズメ(15cm)でした。

絵・文/ 中野響

お姉ちゃんとひーくんが生まれる前の、2005年10月から撮影をさせて頂いてます。今も2~3年に1回は必ず、スタジオや城陽のご自宅で撮ってます。小学6年生になったひーくんは、この前の撮影の時に鳥に魅せられていると話してくれた。それが小学生レベルの鳥好きの話ではなく、僕からすればもう学者レベル。しかも視点がユーモラスなのでこれはスゴイ!是非、図鑑を作ろうと盛り上がり、WEBという形で毎月2回、発表してもらっています。


桜の季節が終わったと思っていたら、ハナミズキが満開になりました。日の出は早くなり、日の入りは遅くなりました。季節は確実に次の季節へ進んでいます。
私たちも確実に進んでいます。先をしっかりと見て、迷わずに進みます。自分の人生は自分が決めています。良い方向に進んでいるのか?それとも、悪い方向に進んでいるのか?それは自分が決めることです。自分の代わりはいない。自分にしかできないことをしている。そして、必ず道は開けている。良いことだけを考えて、その道に向かって進んでいく。
毎朝の散歩でそう思い込むようにしている毎日です。

今回のコラム「人生の終い方を考えてる」


Sukkuのご利用者さんは60歳代~90歳代までの方です。
60歳や70歳の方はあまり考えておられないですが、80歳代後半に入ると、人生の終わり方を考えている人が多くなってきているように感じます。
今回はそんな80歳代後半の女性 藤田さん(仮名)のお話しです。
藤田さんのご主人は医師でした。数年間病院で勤務医をされた後、園部町で小児科の医院を開業されました。その後40年間開業医をされ、藤田さんはその間ずっとご主人を支える裏方の仕事をされていました。
昔は今ほど病院も町医者もなく、ましてや小児科だったので、朝も夜も関係なしに子供さんが来られていたそうです。そのため、自宅兼医院には住み込みの看護師さんがいたり、レセプトと言う、診療報酬の請求も全て自分達でしていたそう。当時はパソコンもなく、月初めになると電卓とペンで1日中机に向かってスタッフ総出で事務仕事。藤田さんも患者さんと従業員のことで付きっきりで、ご自身の二人の子供の子育てにはほとんど関われないくらい忙しい毎日だったとか。
そんな生活をしていましたが、一つの注射で生活が劇的に変わったと言われます。それは、なにでしょうか?
ワクチンです。インフルエンザはもちろんのこと、色々な小児ワクチンが出来ました。それでようやく急患が一気に減ったそうです。そして、ご主人が80歳になったのを機に閉院されました。ご主人が90歳で亡くなられるまで、今までの分を取り返すかのように二人でゆっくりと生活され、最期の看取りもされました。
その後、85歳になった藤田さんは自宅で転倒し、足を骨折してしまいました。そして、手術も受けました。術後の経過も良く本格的にリハビリが必要になり、Sukkuをご利用下さることになりました。
Sukkuを利用してからも順調に回復し、杖無しで歩けるし、痛みもなくとても元気です。
コロナで自粛になるまでは、週3回近所の友人と麻雀を楽しんでおられました。
昔から田舎は娯楽がなかったので、麻雀を覚えるしかなかったらしいのです。ですので、85歳にして麻雀歴70年!今でも娘家族や孫と集まると、1日中麻雀をしているそうです。
そんな藤田さんは、麻雀の他にも絵画が好き。作家である友人の作品をSukkuに飾っていたら、「あれちょうだい!買うわ!」と言って自分の気に入った作品を引き取って帰られました。そんな調子だから自宅には美術品が結構あります。
しかし、困ったことに娘さんは美術品、とくに絵画にあまり興味がないようで「お母さん!死ぬまでに、この絵どうにかして!」と言われているようです。先日も自宅に伺うと、ある高名な日本人画家の絵があり、その横に友人の作品が飾ってありました・・・。
最近私たちにしきりに言われることは「人生の終まい方」です。
ここ何か月か体調が悪い時がありました。年齢的に色々な免疫力の低下や体力低下を認め、体調不良がすぐに治らなくなってきました。その時によく言われることは「昔、山登りをした時に、朽ちた木が倒れていたんです。今の私は、あの時の木と重なります。」言う事が違います。
藤田さんは自分の人生が終わりに近づいていることが分かっていて、その準備もされています。診療所も改修し、生活しやすいように変わりました。自分に関するものを極力減らしておられます。そしてこの度、コレクションの絵画の1つを、我が家もいただくことになりました。藤田さんが、大切にしてこられた物を、こうやって引き継げること。こんなに嬉しいことはありません。
このように、家には最低限のものしか置かないようになっています。けれども悲壮感はありません。とても明るい方で、一緒にいてとても楽しい方です。
そんな藤田さん、「人生の終まい方」を強調されていますが、実は内臓はどこも悪くありません。本人は、もうすぐそこに終わりが来ているような感じで話しをされています。しかし、私はあと5年は大丈夫。と心の中で思っています。
本人にとっては長いでしょうけど・・・。(おしまい)

次回のコラム「毎日阪神タイガースに振り回されています」

写真・文/ 川瀬啓介・未央

Sukku 川瀬啓介 / 未央 (理学療法士・鍼灸師 / 鍼灸師)
〒622-0002 京都府南丹市園部町美園町4-16-38

TEL 0771-62-0005

2017年から京都の南丹市でリハビリを中心としたデイサービスをしています。利用者さんと過ごす時間は、笑い声と涙が入り混じる賑やかな毎日です。そんなささやかな日常、会話から気付かされること、そして個性派揃いのスタッフについて…色々な事を綴っています。

2011年11月からのお付き合い。楓くん・緑くんが生まれる前から撮影をさせて頂いていて、今も1年に1回は必ずスタジオ撮影にお越し下さいます。Sukkuというデイサービスの屋号は、佳代が名付けさせて頂きました。飾らない温かさ、自分の好きが明快で、歯切れがよい。けれど、流れる時間はゆっくり。そんなお二人の人柄が大好きで、バランスを崩した時には体を診てもらおうと決めているから安心です。笑いと涙のデイサービスの日々を毎月2回、綴ってもらってます。

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