おばあちゃんの編み物教室のモットーは?の巻
産まれる数時間前までもうじき陣痛と闘うこともつゆ知らず、ちくちくしていた編み物。
出産したら入院中、赤ちゃんのお世話の合間に編み物しよ〜っと入院セットの中に編み物道具を用意していました。
3人目だし、赤ちゃんのお世話には少し余裕があるだろうし。
入院中、長女と次女と離れるのは寂しいけど、でも朝昼晩、ご飯も作らずとも運ばれてきて、ゆっくり食べられたり、長女、次女をお風呂に入れたり、寝かせたり…ドタバタの日常から少し離れて赤ちゃんとゆっくりと二人の時間になれる入院生活が少し楽しみだった。
長女次女を寝かせた後、夜10時ごろお腹が少し痛いことに気づいて、時計をみると既に陣痛らしき痛みが10分間隔で来ていたので、産院に連絡してすぐ入院となった。
そのまま、あれよあれよとお産が順調に進み、その数時間後の2時ごろ無事に三女が産まれた。
ほやほやの可愛い新生児の赤ちゃん。
家族みんな大喜びで赤ちゃんを迎えてきてくれた。
おばあちゃんも翌日、赤ちゃんと私に会いに来てくれた。
…が、わたしのベッドの横にある入院セットのバッグを見てびっくり!!
産後とにかく休むのが仕事。
編み物なんて産後は以ての外。
また編み物はいつでも出来る。今はこの可愛い赤ちゃんの事と自分の体を休める事しか考えたらあかん。
と言って産後1ヶ月経つまでは編み物禁止令と共にわたしの編み物バッグを没収される。笑
そして本当に1ヶ月経つまで返してもらえなかった。笑
私編み物師匠のいつも優しいおばあちゃん、
怒られてしまったけど、愛情を感じたのも確かだった。
でも本当におばあちゃんの言う通りだったとすぐに痛感することになる。
3人目だからと余裕をこいて入院セットに準備していた自分をビンタしたいと、後々思うのだった。笑
どんなに可愛くてよく寝てくれても、
後陣痛などの体のトラブル、貧血、寝不足、赤ちゃんが寝てる時間は自分も爆睡。
手も目も使ってちくちく…する気力なんて皆無だった!!
退院後もやはり、1ヶ月先まではフラフラ。
長女次女の生活もあった為里帰り出産もしなかったので、本当に産後も毎日過ごすので精一杯だった。
編み物の事を考える間もない日々だった。
やっと、編み物したい!そろそろ出来ると思ったのは1ヶ月健診も過ぎ、日常に余裕が出てきたころだった。
おばあちゃんのお許しも出て、また編み物教室が再開。
急いでしなくてもな、ぼちぼちと
編んで行ったらええ。
編める時に編んでしないとあかんよ。
まずはお母ちゃんとして子どもたち優先したげなあかんよ。優しい気持ちでな。
育児やら家事の合間にするのがまた頭が切り替わってええのよ。ぼちぼちしいな、楽しく。
と言ってくれた。
そうそう、お母さんとして愛のある編物をしたいからそうしていこうと思えた。
編み物って不思議で、今まで編んできたものを振り返ってみてみると、その時期にあった出来事と風景が一緒に蘇る。
この手袋編んでた時、次女の事でこんな悩みあったなぁとか、この帽子編んでた時長女の歯が抜けた時期やなぁとか。
編んできた全部のものにその時期の風景が浮かぶ。
きっとちくちく編み物しながら色んな事頭で考えたりしながら編んだりしてるのかな。
だから、焦ったりイライラしながら編んだりすると、きっとその事が蘇るだろう。
編んだものをみて、イライラしながらや無理しながら編んだ風景が蘇る編み物は嫌だ。
やっぱり気持ちに余裕をもって、優しい気持ちを編み物に反映したいので、わたしの編み物は心がやりたい時に、優しい気持ちを込めて進めていきたいなと思う。
おばあちゃんに産後編み物を没収されたのは、きっとそういう意味だったのだろう。
おばあちゃんの編み物教室は
優しい気持ちをひと針ひと針こめていくことがモットーのようです。
手にした時に優しい気持ちになれるように。
優しい気持ちを纏えるように。
写真・文 / 田畑由布子
2012年11月からのお付き合い。葵子ちゃん・季なりちゃん・糸喜ちゃんの3姉妹5人家族になった今も年に2回、必ずスタジオや名張市のご自宅で撮影させて頂いてます。編み物の師匠・おばあちゃんのお話しを聴かせてくれたユフコちゃん。面白くてあったかくて、色んな人にも聴いてほしいと思い、毎月2回、綴ってもらってます。
⑥「Sukkuおうちへ行く」
Sukkuのご利用者さんの中には、ご夫婦で利用されている方々がおられます。
今回は山本さん(仮名)ご夫婦を紹介したいと思います。
ご主人は泰一さん(仮名)、奥さんは富江さん(仮名)とおっしゃいます。
泰一さんは、大手電力会社にお勤めされた後に独立。80歳まで自分で電気関係の仕事をされていました。独立して一人で大きな会社を相手に保守管理をされていた事もあり、性格は真面目で何事もきっちりされます。その反面、自分がおかしいと思ったことは誰が相手だろうとしっかりと意見を言う方でした。近所では有名な頑固者だったそうです。毎朝、新聞二紙を熟読、一日の終わりには日記を欠かさず付けられます。
そんな泰一さん、肺がんですがご本人の意思で手術はせず、今の状況を受け入れながら毎日を過ごされていました。年齢的にも進行はゆっくりで、内服でコントロールしている状態です。
富江さんは、両方の股関節が悪く、10年ほど前に人工関節の手術を受けられました。術後の経過は良好でしたが、両足の筋力低下と円背から来る肩凝りがあります。
そして、人を疑うことを知らない方で、どんな事でも信じやすく、そしてどこまでも天然な性格の方です。また、お茶と生け花の師範として長い間指導をされていました。
富江さんは、普段押し車を押して歩かれていますが、目の前に横断歩道があっても必ずその手前で渡ります。その際、前後の確認なんて致しません。なので、運転中に富江さんが歩いていたら要注意です。
つい先日道端で、杖をついて今にもこけそうに歩いている富江さんを発見。声をかけると「よかったー。ありがとう。」と声をかけただけなのに助手席に乗ってこられました。
私が「どうしたの?」と聞くと、「美容室に行こうと思って杖を持ったら、杖の先がなくて、歩けなくて困ってたの!」と。よく見ると、ただの木の棒でした。棒では歩けません。「押し車は?」と聞くと「邪魔になるから美容室に押し車なんて持っていけません!」ときっぱり。結局、車で美容室まで送っていきました。そして降り際に「神様に出会えた気分です!」と、私に向かって手を合わされました。
ご利用が始まり、少し気難しいと思っていた泰一さんでしたが、あっという間に馴染まれ、とても楽しそうに過ごされるようになりました。口癖は「ここのお茶が一番美味しい!」うちで出すお茶は熱くもなく冷たくもなく・・普通の麦茶。普段はお茶の先生である富江さんの作ったお茶を飲んでいる方なのに、うちの麦茶が美味しいと喜んでくださる事が何だか嬉しくて、スタッフが「一杯5000円!まとめて月末に請求しますね~」と返すのがお決まりの言葉に。そしてその度に、泰一さんはヒャッヒャッヒャと大笑いをされていました。富江さん曰く、何よりもSukkuで過ごす時間を生きる力にされていると。
そんな日が続いていたある日、富江さんから相談があったのです。「主人が夜になると咳が止まらない。そして、長い距離を歩くと息切れをするようになりました」と。
肺がんの進行です。
徐々に今まで通りの生活が難しくなり、自宅に来て診察してくれる医師に主治医を変更したり、訪問看護も入るように。酸素をしながらの生活も始まりました。
それでも泰一さんはSukkuに来てくださって、「ここのお茶は美味しい」と言い、スタッフが「一杯10000円!値上げしたしね!」と切り返すと、息切れをしながらもヒャッヒャッヒャと笑われていました。
そして、いよいよ主治医からSukkuの利用に対してドクターストップかかってしまったのです。けれども、それはただのストップではありませんでした。
主治医がSukkuに来られ、「泰一さんはSukkuのことをとても気に入っています。Sukkuが家に行ってくれませんか?」と依頼されたのです。
そんなことを言ってくる医師は初めてだったので驚きましたが、スタッフと相談し、家へ伺うことにしました。
家へ伺うとベッドから起き上がり、酸素をしながら一生懸命話しをされ、「Sukkuに行けないのが淋しい」と何度も何度も口にされました。私たちは、込み上げてくる気持ちをぐっと抑えながら、「お茶代まだ頂いてないから、また来てくださいよ~」というと、以前のようにヒャッヒャと笑う泰一さんがいました。私がベッドで富江さんのリハビリをしている時は泰一さんはスタッフと話しをして、泰一さんのリハビリをしているときは富江さんとスタッフが話しをして・・と、あっという間に時間が経ちました。といっても体力が低下している泰一さんですから、1時間が限界でした。息切れを起こし徐々に何を話されているのか分からなくなってきたのです。私たちもおそらくご本人も、これが最期と分かっていながら「またSukkuがおうちにきますね!」と言い家を後にしました。
それから2週間後、泰一さんは富江さんと娘さんに見守られながら、苦しまずに静かに逝かれました。お亡くなりになった日に自宅に伺い、スタッフ皆でお見送りをしました。その時娘さんに「おとうさんの日記には、Sukkuさんに行くことがとても楽しいって書いてありましたし、とても喜んでいました。本当にありがとうございました。」と言ってもらいました。その時私は、泰一さんの人生の最後にSukkuが関わることができて良かった。Sukkuをして良かった。と心の底から思ったのです。
そして、隣で座っていた富江さんに、「富江さん、最期までよく家で看病しはったね~」と言うと、「そうです。大変でした。肩が凝って肩が凝って。今マッサージ頼めませんか?」と言うのです・・。私が驚いて「えっ!今ですか?」と聞くと、「主人の隣で構いませんので、肩だけお願いできませんか?」と。私がどうしようか困っていると娘さんも「母をお願いします。」と懇願されました。そして私は、隣で穏やかな顔で眠っておられる泰一さんの横で富江さんのマッサージ。終わった後は私が肩凝りになってしまいました。
色んなドタバタがありましたが、私たちスタッフにとって、おうちにSukkuをもっていけた事は、泰一さんとのお別れの心の準備が出来たように思います。
泰一さんが亡くなって1年が過ぎました。富江さんは最近、天然の性格に付け加えて、物忘れが進み一人暮らしが徐々に難しくなってきています。何とか思い入れのある家で長く暮らせるように周りの人たちが必死にサポートしています。
Sukkuの窓から泰一さんのお墓が見えます。
富江さんとお墓を見ながら「泰一さん、今頃天国で何してるやろうね?」と話しながらお墓にむかって手を合わせています。
そんな、おうちにSukkuをもっていくことを頼みに来てくれた医師に私は感動し、それ以来私の主治医になりました。 (おしまい)
→次回のコラム「Sukkuのファッションリーダーは、寝ても覚めてもおめめぱっちり」です。
写真・文/ 川瀬啓介・未央
Sukku 川瀬啓介 / 未央 (理学療法士・鍼灸師 / 鍼灸師)
〒622-0002 京都府南丹市園部町美園町4-16-38
TEL 0771-62-0005
2017年から京都の南丹市でリハビリを中心としたデイサービスをしています。利用者さんと過ごす時間は、笑い声と涙が入り混じる賑やかな毎日です。そんなささやかな日常、会話から気付かされること、そして個性派揃いのスタッフについて…これから色々な事を綴っていこうと思います。
2011年11月からのお付き合い。楓くん・緑くんが生まれる前から撮影をさせて頂いていて、今も1年に1回は必ずスタジオ撮影にお越し下さいます。Sukkuというデイサービスの屋号は、佳代が名付けさせて頂きました。飾らない温かさ、自分の好きが明快で、歯切れがよい。けれど、流れる時間はゆっくり。そんなお二人の人柄が大好きで、バランスを崩した時には体を診てもらおうと決めているから安心です。笑いと涙のデイサービスの日々を毎月2回、綴ってもらってます。
今版はデコさんのご都合により休載します。
イソヒヨドリは、青色でおなかがオレンジ色の「まめちしきのカワセミ」に似た色をしていて、田んぼや海の近くで見られる鳥です。鳴き声もとてもきれいで、「ホイピーチョイチョイ、ツツピーコー」などと鳴いて、よく雨あがりに鳴きます。スズメより大きくて、ちょっとヒヨドリより小さいのがイソヒヨドリです。メスは、茶色や黒をしていて、とても地味な色をしています。主に虫を食べてくらしています。5年生になって、席がまど側になった時に何回もイソヒヨドリが見ることができて、うれしかったです。ここでクイズです。イソヒヨドリ以外にイソヒヨドリの仲間は何種いるでしょう。
1.2種
2.5種
3.7種
答えは次の鳥図かんにのせます。
最後に、前のクイズの答えを発表します。
正解は、
2.の せ中が茶色でおなかがまっ白 でした。
絵・文/ 中野響
2005年10月からのお付き合い。ひーくんとお姉ちゃんが生まれる前から撮影をさせて頂いてます。今も2~3年に1回は必ず、スタジオや城陽のご自宅で撮ってます。小学5年生になったひーくんは、この前の撮影の時に鳥に魅せられていると話してくれた。それが小学生レベルの鳥好きの話ではなく、僕からすればもう学者レベル。しかも視点がユーモラスなのでこれはスゴイ!是非、図鑑を作ろうと盛り上がり、WEBという形で毎月2回、発表してもらっています。
『いきもの漢字図』えざきみつる
突然ですが問題です!「片喰」「捩花」いったい何かわかりますか?
答えは、この本のなか!この本は、版画といっしょにいきものの名称(難読漢字)が書いてある本です。とっても色あざやかで綺麗ですよ。
難しい漢字ばかりだけど、眺めているだけでも楽しいです。私のおすすめは、野花漢字図のページ。このページだけ、背景が黒く、花の色がきわだって綺麗なんです。
実は、この本には、作者のえざきみつるさんが作った漢字がひとつだけあるんです。でも、どの字も見たことなくて、ムズカシイ・・・! 答えはあとがき・解説のページにあります。探してみて!
とってもすてきなので、ぜひ見てみてください!
文/ 木下琴子
2006年3月からのお付き合い。琴子ちゃんが生まれる前から撮影をさせて頂いてます。小学5年生になった今も記念日ごとには必ず、スタジオやお好きなロケ場所で撮影させて頂いてます。埼玉県からお越し下さいます。幼い頃から、本が好きと撮影のたびに僕に話してくれた琴子ちゃん。読みたい物語がまだまだ沢山あると思うと、これからが楽しみとも話してくれた。そんな琴子ちゃん目線の書評を毎月2回、依頼しています。